始まりは五高プール

 熊本水泳界の戦後の立ち上がりも、他の種目と同じく、たいへんな苦労の連続だった。
 協会としては、日本水連の規約にしたがい、熊本水泳界の窓口となる代議員も選任した。古荘次平、滑石信一のほか、熊本商時代平泳ぎの選手で、早大を出て茨城県の日立製作所多賀工場に勤めていた太田秀次郎を在京代議員とした。こうした協会としての動きが活発になればなるほど、練習プールの建設は切実な問題であった。
 五高プールで 水泳協会員の練習場として、まず五高のプールに白羽の矢が立った。場所はいいし、五十㍍の公認のプールだ。交渉の結果、自分たちで掃除をし、水を入れて使用するのならいいとの承諾を得た。正式に借用願いを提出したのは二十一年の三月十九日だった。

 初の記録会 泳げるプールは熊本市内では五高プールだけ。水協の呼びかけで、熊中、濟濟黌、熊商に水泳部が誕生し、連日五高プールに集まって合同練習を始めた。
 そして六月三十日に、この中学三校の水上競技記録会が五高プールで開かれた。主催は三校の水泳部で熊本水協が後援した。まだまだ練習不足で、戦前の県中等記録とはほど遠く低調だったが、元気いっぱいの水しぶきは、審判長をつとめた古荘次平ら水協会員たちを喜ばせた。

 ▽百自由 1石川(熊中)1分20秒2 2岡田(熊商)1分26秒8 3上村(濟濟)1分26秒8
 ▽二百自由 1矢賀(濟濟)3分11秒8 2伊藤(熊中)3分37秒8 3村上(同)3分42秒2
 ▽四百自由 1矢賀(濟濟)7分12秒0 2矢島(同)8分28秒2 3谷口(熊中)9分17秒0
 ▽二百平 1松本(熊商)3分34秒0 2渡辺(濟濟)3分43秒8 3山下(熊中)3分52秒8
 ▽百背 1毛利(熊中)1分39秒4 2石川(同)1分40秒0 3木村(濟濟)1分54秒0
 ▽二百リレー 1濟濟(2分23秒8) 2熊中(2分25秒8)
 ▽八百リレー 1濟濟(14分44秒0) 2熊中(15分12秒)



濟々黌プールにて草創期のメンバー(胡坐が矢賀さん、後左から3番目が木村さん)
その他の方は編集者の記憶が不確かですので、あえて記名していません。
ご本人またはご存じの方はご連絡下さい


同上


【人物MEMO】
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▽古荘次平(ふるしょうじへい)故人
 大正三年生まれ、熊本市出身、熊本商業、早稲田大学卒。早大時代平泳ぎから水球のゴール・キーパーに転向、伝説的な猛練習で日本代表チームに選ばれ、ベルリン・オリンピック(1936)に出場した立志伝中の人。身に付けていた熊本伝統の「小堀流踏水術」が役立ったという。戦後は熊本県体協理事長などをつとめ県スポーツの振興に尽力。濟濟黌水球部の創設・発展に大きな役割を果たす。株式会社シロヤパリガン創業者。写真はベルリン・オリンピックの時の勇姿。
Water Polo Legendsより)

※出典「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」(昭和42年 熊本日日新聞社刊)より抜粋
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by swpc | 2011-08-14 00:00 | Trackback | Comments(0)
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濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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