会津若松国体(昭和36年)の想い出(2)
▼いざ決戦へ・・・そして
鶴ヶ城内の宿舎「西澤別館」を出て会場まで徒歩で行く。将棋の駒を手に余裕の表情の面々。いよいよインターハイ、国体の完全優勝を目指して決勝戦がスタート。楽にセンターボールを取り前半が始まった。前半で1点をリードした我々は大失敗さえ無ければこのまま行けると思い後半に臨んだ。試合展開は相手も天下の鴨泝高、そう簡単には点を取らせて貰えない。そんな中で急にレフェリーMr.Kの笛が…。普通ならオーディナリーファウルまたは反則にはならない程度の動作で桑山2回、村山2回の退水で4点を取られて逆転されてしまった。一方こちらは桑山が唇を切る反則を受けて、レフェリーにアピールしても受け入れられず続行。そのような状態が続き、観客席からもレフェリーへの罵声も飛び交ったと聞いた。プール内では攻めている最中にも関わらず、小陳は相手チームの選手を攻める方向とは反対方向へ追うなど皆が頭に血が上って冷静な試合に戻れないまま試合終了となり完全制覇の夢は消えてしまいました。
終了後プールサイドへ上がった我々は怒りも頂点に達し桑山はレフェリーへ脱いだ帽子を投げ付けた後つかみ掛かる寸前まで行ったが、平田先生に後方から抱きつかれ止められた。その場は何とか収まったように記憶している。それからは、プールサイドへ座り込んでしまい動けないまま暫く時間が過ぎた。表彰式で2位の賞状を受け取った後、破って捨てようと言う気持ちになったが先生や学校に迷惑が掛けては申し訳ないので、せめてもの抵抗として表彰状を丸めて後ろ手に持ち顔を上げる気力は無かった。
その後、競技関係者の間からも疑問の声が上がり、会津若松からの帰りに平田先生、矢賀監督と共に当時丸ビルにあった日本水泳連盟に立ち寄り、事の次第を報告し、対処を求めた。それ以降、Mr.Kは審判員から外された。決勝の夜は、選手達は夫々に食事などに出掛けて大いに暴れまくった逸話も残っている。矢賀監督は部屋でテーブル一杯に空き瓶が並ぶほどビールを飲んで悔しさを抑えておられるように見えました。
結果は永久に2位、我々は水球人生の中で最悪のタイミングであったと諦めなければならないようだ。また日本の水球界においてもこれ程の汚点を残した試合は他には無いし、今後も無い事を祈りたい。
当時、学校終了後の5時間近くの練習を重ね体力の限界まで頑張ったのは完全優勝を目指していたからこそ耐えられた事であったのに、一人の心無い人間によって谷底へ落とされてしまうとは予想もしなかった悪夢であった。
その後、相手チームの鴨沂高メンバーとの交流を通じて感じる事は、この大会の出来事は我々サイドに限らず双方のチーム、選手にとって不幸な出来事である。
この水球史に残る大誤審(といっても意図的な誤審なのだが)を目撃した一人として、村山さんのコメントに少し追加させていただきたい。今、想い出してもあんな異様な雰囲気の試合を見たことはほかにない。最終クォーター、不可解なジャッジに激高した小陳さんは、ゲームはそっちのけで相手チームの選手をゴール前で追い回し、相手選手もゲームそっちのけで逃げ回るといった光景が繰り広げられた。試合終了後、桑山さんに食ってかかられた審判K氏はコソコソと逃げ出す始末。閉会式で並んだ鴨沂高の選手に村山さんが「実力で勝ったなんて思うなよ!」と言い放っていたのが印象的だった。翌日のバス観光では鴨沂高の選手と度々鉢合わせ、桑山さんに睨まれた鴨沂1年生の佐藤君が逃げ回っていた姿を想い出す。(柴田範房)
決勝戦が行われた鶴ヶ城内会津若松市営プール
鶴ヶ城内の宿舎「西澤別館」を出て会場まで徒歩で行く。将棋の駒を手に余裕の表情の面々。いよいよインターハイ、国体の完全優勝を目指して決勝戦がスタート。楽にセンターボールを取り前半が始まった。前半で1点をリードした我々は大失敗さえ無ければこのまま行けると思い後半に臨んだ。試合展開は相手も天下の鴨泝高、そう簡単には点を取らせて貰えない。そんな中で急にレフェリーMr.Kの笛が…。普通ならオーディナリーファウルまたは反則にはならない程度の動作で桑山2回、村山2回の退水で4点を取られて逆転されてしまった。一方こちらは桑山が唇を切る反則を受けて、レフェリーにアピールしても受け入れられず続行。そのような状態が続き、観客席からもレフェリーへの罵声も飛び交ったと聞いた。プール内では攻めている最中にも関わらず、小陳は相手チームの選手を攻める方向とは反対方向へ追うなど皆が頭に血が上って冷静な試合に戻れないまま試合終了となり完全制覇の夢は消えてしまいました。
終了後プールサイドへ上がった我々は怒りも頂点に達し桑山はレフェリーへ脱いだ帽子を投げ付けた後つかみ掛かる寸前まで行ったが、平田先生に後方から抱きつかれ止められた。その場は何とか収まったように記憶している。それからは、プールサイドへ座り込んでしまい動けないまま暫く時間が過ぎた。表彰式で2位の賞状を受け取った後、破って捨てようと言う気持ちになったが先生や学校に迷惑が掛けては申し訳ないので、せめてもの抵抗として表彰状を丸めて後ろ手に持ち顔を上げる気力は無かった。
その後、競技関係者の間からも疑問の声が上がり、会津若松からの帰りに平田先生、矢賀監督と共に当時丸ビルにあった日本水泳連盟に立ち寄り、事の次第を報告し、対処を求めた。それ以降、Mr.Kは審判員から外された。決勝の夜は、選手達は夫々に食事などに出掛けて大いに暴れまくった逸話も残っている。矢賀監督は部屋でテーブル一杯に空き瓶が並ぶほどビールを飲んで悔しさを抑えておられるように見えました。
結果は永久に2位、我々は水球人生の中で最悪のタイミングであったと諦めなければならないようだ。また日本の水球界においてもこれ程の汚点を残した試合は他には無いし、今後も無い事を祈りたい。
当時、学校終了後の5時間近くの練習を重ね体力の限界まで頑張ったのは完全優勝を目指していたからこそ耐えられた事であったのに、一人の心無い人間によって谷底へ落とされてしまうとは予想もしなかった悪夢であった。
その後、相手チームの鴨沂高メンバーとの交流を通じて感じる事は、この大会の出来事は我々サイドに限らず双方のチーム、選手にとって不幸な出来事である。
(村山憲三)
この水球史に残る大誤審(といっても意図的な誤審なのだが)を目撃した一人として、村山さんのコメントに少し追加させていただきたい。今、想い出してもあんな異様な雰囲気の試合を見たことはほかにない。最終クォーター、不可解なジャッジに激高した小陳さんは、ゲームはそっちのけで相手チームの選手をゴール前で追い回し、相手選手もゲームそっちのけで逃げ回るといった光景が繰り広げられた。試合終了後、桑山さんに食ってかかられた審判K氏はコソコソと逃げ出す始末。閉会式で並んだ鴨沂高の選手に村山さんが「実力で勝ったなんて思うなよ!」と言い放っていたのが印象的だった。翌日のバス観光では鴨沂高の選手と度々鉢合わせ、桑山さんに睨まれた鴨沂1年生の佐藤君が逃げ回っていた姿を想い出す。(柴田範房)
決勝戦が行われた鶴ヶ城内会津若松市営プール
by swpc
| 2011-11-03 22:10
ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
平成23年8月
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