国体2度目そして最後の全国制覇!(続き)

 前回記事で、この昭和43年の国体優勝を濟々黌水球部の歴史の中でも特筆すべき勝利と書いたが、特筆すべきことはこれだけではなかった。実は部史上初めて、インタハイ全国大会に出場できなかったのである。つまり、九州地区予選で4位に終り、全国大会への出場権が与えられる3位以内に入れなかったのである。これは九州各県の高校の実力が急速に高まっていたこともあったが、濟々黌自体が実力を発揮できなかったことが大きい。これはある意味で、この年のチーム事情をよく表した出来事だった。私はこの年地元熊本に就職し、このチームの様子を春先からつぶさに見てきた。現役時代と変わらない体力を維持していた私に矢賀コーチから与えられた使命は、実戦練習でのエース西田へのマンマーク。前年のインタハイ優勝チームから3年生4人が抜け、春先こそチーム力が落ちていたが、シーズンが進むにつれ、徐々に力をつけて行った。ただ、このチームが前年と明らかに違っていたのは主将宮田と西田への依存度が高かったことだ。ということは二人の調子いかんがゲームを左右する。とりわけポイントゲッター西田は好不調の幅が大きく、チームの出来を左右した。しかし、私はまさかインタハイ全国大会の出場権を失うとは夢にも思っていなかった。
 九州大会から帰って来た彼らは明らかに目の色が変わっていた。東京合宿も行い、国体前の頃になると西田は私の手には負えなくなっていた。プールサイドで見ていた先輩の木村さんが「もうお前には西田は押さえられんなぁ」と言われたのをよく憶えている。私も多分高校生で西田を押さえられる選手はいないだろうと思った。上位入賞どころか優勝だってあり得る、と確信したのはその時である。
(柴田範房)


大洋デパートでの国体優勝祝賀会の模様

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by swpc | 2011-11-24 17:02 | Trackback | Comments(0)
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ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


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濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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