オリンピックの華 - メキシコ大会(1968) -

 菅原平(日本水球チーム・コーチ)
 菅原さんは熊本市大江小から濟々黌へ進み、31年日大卒。濟々黌2年のときインターハイに初優勝、“水球濟々黌”の基礎をつくった。日大時代も2年で関東リーグ初優勝、3年で全日本初優勝と日大躍進の中心メンバーとして活躍した。
 35年ごろから日大水球チームのコーチをしているが、今回の代表選手9人のうち5人が“教え子”である。とくに米原、桑山、坂本の三選手は濟々黌、日大を通じての後輩でもある。いま神宮プールで仕上げの合宿練習をしているが、桑山ら三選手がケガをして練習効果が上がらず頭をかかえている。しかし「メキシコではどうしても10位以内を確保しなければならない。これができないと次のミュンヘン大会には水球参加が危うくなる。メキシコ大会に水球の存亡がかかっている」とファイトを燃やして、選手たちにハッパをかけている。
 本職は東洋交通大森営業所の所長さん。「仕事の方も気にかかるのですが、オリンピックがすむまではおあずけです」と苦笑する。根っからの“水球の虫”だ。
 一昨年、大分国体のとき一日だけ帰省したが、それいらい故郷にはごぶさた続き。「メキシコへ行く前に一度帰りたいのですが、選手たちも故郷には帰さないので私も帰るわけにはいきません。母親が寝込んでいるというし、親不孝のしっぱなしです」と嘆いていた。
 薫夫人と一男一女の四人暮らし。熊本市大江町渡鹿出身、現住所=川崎市。

 桑山博克選手(26)
 攻撃のカナメの米原選手に対し桑山選手は守りのカナメ。今回の代表チームの中心メンバーの一人である。練習量の豊かさを物語る真っ黒なハダが水にぬれてつややかに光る。ボールを追う出足のいい泳ぎはアシカを思わせる。そのダッシュのよさは定評のあるところ。
 菅原監督は「バックの選手だが、泳力があり出足もいいので攻撃にも回れる。泳ぎのないチームには威力を発揮するだろう」と期待を寄せている。しかし守備に関しては「ヨーロッパ勢に比べると日本選手はからだが小さい。この点がいちばん不利だ。このため日本人相手と同様な守備ではダメ、すぐれた技術とかけひきが必要」と指摘する。
 同選手も「からだの問題はいってもしようがない。外国勢を押えるにはまずひとかき先に出ることだ。出足を生かしてセリ合ってみたい。ひとかき早ければ守りを攻撃に変えるチャンスも生まれる」精かんな顔にファイトをみなぎらせる。ブラジル、ハンガリーの両ユニバーシアード、バンコクのアジア大会と国際試合の経験は豊富。同選手のことばはこのような裏付けがあってのことだ。
 濟々黌時代にインターハイに二回優勝、日大時代も全日本、インカレに各一回優勝とはなやかな水球歴を持つ。日大4年のときは同大水球部のキャプテンも勤めた。それだけに「水球は一度プールに入ったら試合が終わるまでは上がれない。一人が調子をくずせばチーム全体がくずれる。チームプレーに徹することがなによりも大切」とバックの選手だけにチーム全体を見回す余裕がある。170センチ、71キロ。
 ◇くわやま・ひろかつ 熊本市千葉城町出身、全日空本社ヘリ営業勤務。現住所=川崎市。

 米原邦夫選手(27)
 メキシコオリンピックの水球日本代表チームには三人の肥後っ子選手がいる。いずれも濟々黌、日大と水球の名門校ではぐくまれた選手だ。米原選手はこのトリオの一番手。後輩をしった(叱咤)激励しながら神宮プールで仕上げのチームづくりに精出している。
 たくましいからだ。胸囲103センチの広く厚い胸、その胸毛と冷静なプレーが彼のトレードマークだ。
 フォワードだが、シューターではない。攻撃の“パスのカナメ”である。日本チームが誇る竹内、桑原らのシューターを生かすのも殺すのも彼のパスワークにかかっている。「自分をパスマシーンと思っている。練習でも自分のパスをいかに生かすかに専念している。無理なパスを出さぬことが第一。あとは冷静さを失わぬことだ」とチームにおける自らの役割りを心に刻みつけている。
 水連派遣役員としてチームとともにメキシコに行く監督格の菅原平氏(34)=濟々黌、日大出=は「どの選手にどんなタイミングでパスを送るか米原の動きが試合を左右する。ともかくも米原にボールをキープしてもらわねばならない。水球は反則の多い競技だが、そのさい与えられるフリースローをいかに利用するかが攻撃のポイントになる。この点反則を多くもらうのも米原の役目のひとつ」と日大時代から現在まで手塩にかけた後輩に期待を寄せている。
 日大時代三回全日本で優勝。濟々黌では水球部のキャプテンだった。38年にはブラジルのユニバーシアード出場。39年日大卒後、一年間事情あって水球から離れたが、持ち前の“負けん気”で40年にカムバック、同年ハンガリーのユニバーシアードに出場するなど国際試合の経験も豊富である。170センチ、67キ㌔
 ◇よねはら・くにお 下益城都城南町千町出身。旭化成勤務。現住所=東京都杉並区。

 坂本征也選手(23)
「私のからだではヨーロッパ勢には通じない。しかし泳ぎでは負けません」と開口一番、鋭い目を光らせた。ことばのように水球選手としては小柄(168センチ、63キロ)である。しかしそれを補ってあまりある泳力がある。
 水球の試合時間は4クォーター計20分だが、反則のさいの時間を加えると試合終了まで選手たちは小一時間も泳ぎ続けなければならない。水球は数多い競技のうちでも五本の指に入るほど体力を要する競技だ。
 同選手は42年日大を出て社会人となったあとも人一倍の練習によって泳力、体力を維持してきた。この努力がメキシコへの道を開いた。
 米原、桑山の両先輩が攻撃、守備のカナメとすれば坂本選手はオールラウンドプレーヤー。プールの中を持ち前の泳力を生かして縦横に動き回る。菅原監督は「貴重な控えの選手です。対メキシコ、キューバ、ブラジルなど確実に勝たねばならぬ試合にどうしても必要な選手」とその泳ぎに期待を寄せている。
 坂本選手自身も「私は日本選手としても小さい方だ。だから泳ぎを生かすほかない。ひたすらに泳ぎ、動き回るだけ」と泳ぎに徹底している。
 濟々黌時代にインターハイで一回優勝、日大3年のときインカレ優勝。4年のとき水球部キャプテン。同年バンコクのアジア大会で優勝の感激も味わっている。
 ◇さかもと・せいや 熊本市出水町国府出身。三報社印刷勤務。現住所=東京都目黒区。
(昭和43年9月以上熊本日日新聞)


前列左から桑山博克、島田輝昭、入江昭雄
後列左から坂本和義、宮本孝典、米原邦夫、村山憲三
上の顔写真は左から菅原平、坂本征也の皆さん。

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by swpc | 2012-03-14 20:13 | Trackback | Comments(0)
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濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
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