新九州人国記 ~ プールサイドの情熱 ~

 平田先生が昭和58年(1983)に出版された自叙伝「水と陸と」のあとがきに「新九州人国記」(熊日出版)に掲載された一文が紹介されています。今回はこれをあらためてご紹介します。
(柴田範房)


 昭和21年、五高プールで水球講習会が開かれた。参加したのは熊中、済々黌、五高の水泳選手たち。「水中バスケットボールだ」とタカをくくっていた選手らは、その難しさと体力消耗に驚いて目の色を変えた。これを契機に各校で水球部が結成され、リーグ戦が始まった。
 呼び掛け人は戦前から全日本クラスで水球をしていた古荘次平(故人)と飯田寿平(64)=古城堀端町生まれ=であった。飯田は熊中時代に水泳を始め、早大では水球部キャプテン。戦後、水泳王国熊本の再興に尽くし、プールサイドの御意見番を任じている。晴れがましいことが嫌いな人だ。済々黌の水球部も講習会後直ちに結成され、猛練習が始まった。古荘、飯田らが技術を指導、選手はしごかれた。
 平田忠彦(71)=新屋敷町生まれ=が部長に就任した26年、済々黌は全国制覇を果たす。「待望の初優勝で、記念碑的なスタートでした」と平田は振り返る。この年から済々黌は快進撃、末弘杯で優勝20回、2、3位各4回の水球名門校として全国に鳴り響いた。
 コーチをしたのはOBの木村晋(54)=電気店経営、上通=と矢賀正雄(54)=西山中教諭=らで、卒業生のうち9人がオリンピックに出場した。
 水球部の取りまとめ役をした平田は小堀流の名手。子供時代は藤崎宮裏の白川が遊び場で「白川ガッパ」と呼ばれたほどの泳ぎ上手。選手への立ち泳ぎの助言などは実に効果的だった。自宅二階を合宿所に開放したこともあり、熱の入れようは人一倍。試合で年間60日も出張したという。
 32年間の水球生活総決算に建設した資料館は熊本の水球史そのもの。写真、メダル、プログラムなど平田が参加した大会の資料二千点が所狭し。資料好きの平田らしいと評判である。旧制熊中-東洋大。

※写真は昭和45年(1970)4月に行なわれた平田先生の済々黌ご退職時の謝恩会。
 平田先生ご夫妻をはさんで古荘、飯田の大先輩がたのお顔も見える。
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by swpc | 2013-04-30 21:21 | Trackback | Comments(0)
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ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


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濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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