再び東京オリンピックがやってくる・・・

 7年後に再び東京オリンピックが開催されることが決まった。今から51年前、2年後に東京オリンピックを控えたある日、西日本新聞に次のような記事が掲載された。この記事を読んでいると、日本の水球界の構図が大きく変化したこと、その一方で世界の水球における日本の地位は少しも上がらず、むしろ下がり気味であることをあらためて思い知らされる。はたして2回目の東京オリンピックはこんな状況を打破するきっかけとなるのだろうか。
(柴田範房)


 水連内部で最も影が薄いのが水球だ。二十四年ぶりにローマ・オリンピックのヒノキ舞台に出た日本水球はついに一勝もあげることができず、予選リーグで失格している。もちろん長い球歴をもつ欧米諸国との中で日本水球は当然といっていいほどの力の差かも知れないが、水連ではこの惨敗ぶりから東京大会は細々と六位入賞をめざして選手強化対策に真剣に取り組みはじめた。そのホコ先を向けられるのが、まず高校水球界だ。京都の鴨沂高校、熊本の済々黌。大げさにいえば、この両校は日本の高校水球を二分する名門だ。いってみれば、現在日本水球界の母体を形成しているといっても過言ではあるまい。なかでも九州随一の名門、肥後の済々黌の存在は貴重だ。
 肥後の空にくっきり浮かぶ熊本城を目前にあおぐ済々黌は創立八十年。輝かしい歴史と伝統の刻みあとが柱一本、一本にさえ感じられる。校門を通って校舎のすぐ右手に古びたプールがある。オフシーズンのいまは、プールの水面も静かな休息を保っている。済々黌水球部が誕生したのは終戦後の昭和二十一年、その後幾多の名選手がこのプールから生まれたのだ。「古いプールですが、いろいろと思い出がありますね」と十二年間水球一筋に生きてきた平田水球部長は語る。昭和二十九年、第二回アジア大会には名キーパーとうたわれた古賀選手(早大)と田代選手(早大)の二人が初めて済々黌出身として全国に名を連ねた。翌三十年、香港遠征水球チームの主力水垣、田久保、井上、宮村、内田の日大勢はすべて済々黌OBで固めた。このころから〝水球の済々黌〟は文字通り日本水球界の焦点になってきた。三十二、三十三年のパリの国際学生大会、第三回アジア大会と済々黌OBの活躍はめざましく、ローマ・オリンピックには宮村(日大OB)藤本(日大)柴田(日大) の三人を送っている。そして昨年藤本、柴田が国際学生大会の選抜メンバーに加わった。
 しかし名門済々黌を語るにはなんといっても過去の輝かしい記録を忘れてはなるまい。高校水球界の二大タイトルといわれる日本高校選手権、国体夏季大会では昨年の全国制覇で通算四回準優勝五回、国体は昨年強敵鴨沂高に惜敗してタイトル独占はできなかったが、優勝一回、準優勝五回の金字塔を築いている。さらに末弘杯高校水球では十三年連続優勝と済々黌の独壇場だ。現在、水連が大学、高校四十人のオリンピック候補選手をあげているが、この中に済々黌水球部で育った選手が九人いる。なかでも全国四名の高校生の候補選手のうち、済々黌の村山憲三選手は注目されている。一㍍七五、七三キロの体格は理想的な選手だ。テクニックもスプリントのよくきいた泳ぎも高校生ばなれをしたうまさをもっている。
 「村山君は高校に入って初めてボールを握ったんだが、素質は十分ですね。いま高校界のNO1ではないんですか。テクニックはずば抜けてうまい。オリンピック選手には絶対になりますよ」と同部長は村山選手の大成に太鼓判を押している。この村山選手のほか、オリンピックの候補選手にはならなかったが、高校界のキーパーでピカ一といわれる入江、大型ではないが典型的なスプリンター桑山、来シーズン主力選手の抜けたあとチームのカナメになる堀、坂本、豊永は将来楽しめる選手。
 小堀流踏水術は〝水球済々黌〟の極意という。水球はまず体を浮かすために足の使い方が基礎になるが、これにはバタ足、巻き足の二つの方法がある。巻き足はいまも肥後に伝わる小堀流踏水術に通ずるわけだ。
 済々黌水球部の伝統を一口にいえば、猛練習以外になにもない。これがすべてだ。だからといってスパルタ教育ではない。いやむしろ部員が過去の輝かしい伝統を自覚、猛練習を当然なものとして受け取っている。そしてこの空気の中から名選手が育っていったわけだ。
 「選手は一年中休みなしです。シーズンオフになれば陸上トレーニングで体をつくるし、シーズンのフタがあけば毎日三時から四、五時間の練習です。昨年は十一月下旬まで水に入っていました。ことしは早々阿蘇で強化合宿ですよ。練習で一番困るのは、九州に格好の相手がいないことですね。だから夏休みは東京で毎年、大学生相手の合宿です」と同部長はいう。また同水球部の矢賀コーチは「練習はきついのがあたりまえです。私は基礎が第一だと思う。だから済々黌の水球は基礎訓練といっていい。高度の技術は大学にまかせる。だからどんな技術でも受け入れられるだけの基礎が大事だ」と言葉を加えている。日本水球界の底辺をささえる済々黌水球部は大きく脈動している。

▼済々黌水球最強の年、昭和36年の3年生(村山・入江・小陳・桑山と平田部長)
d0251172_20425657.jpg

[PR]
by swpc | 2013-11-28 20:58 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://swpc.exblog.jp/tb/20036478
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


by swpc

プロフィールを見る
画像一覧

Note

濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

以前の記事

最新のコメント

最新のトラックバック

検索

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧