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済々黌水球部史上の最強チームは?

 済々黌水球部史上の最強チームはどのチームだろう。以前、OBが集まった席でそんな話題が出たことがある。私自身は全時代のチームを見たわけではないので確たることは言えないが、黄金時代を築いたコーチの矢賀正雄さんが生前仰っていた言葉を思い出してみると、それはやはり、1961年のチームだったのではないかと思う。とても幸せなことに私はこの1961年に入学し、その強さをこの目で見ることができた。今思えば、ミーティングの時などの矢賀さんの指示ぶりも自信に満ち、手ごたえを感じておられたように思う。実績から言っても、部史上ただ一度のインタハイ連覇を成し遂げているし、下に掲げたこの年の主な戦績を見てもわかる。このチームの素晴らしさはGK入江、バック村山、中盤桑山、フォワード小陳という超高校級の3年生で固めた強力な縦のラインだろう。ただ、とても残念だったのは、この年はインタハイ、国体の二冠が確実と言われていたにもかかわらず、悪夢のような国体の決勝戦によってそれを阻まれたことである。この高校水球史の汚点とも言える昭和36年の会津若松国体決勝戦についてはまたいずれ述べたい。

(柴田範房)





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※データは日本水泳連盟機関誌「水泳」より抜粋
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by swpc | 2011-09-15 13:12 | Trackback | Comments(0)

二年連続四度目の勝利

 三十六年のインタハイで済済黌水球部は二年連続四度目の優勝を記録した。すでに優勝経験を持つ桑山、入江、小陳らの三年生がチームの主力となり、連勝の気迫を燃やして練習を続けた。部員は主将・村山憲三、桑山博克、入江昭雄、小陳修臣、堀緑容、坂本誠也、豊永修介、松田康、福永冠治、下村佑次郎、平田和彦らである。その努力によってぐんと力のあるチームに育った。五月の末広杯高校大会で、文句なしに十三連勝を飾ってこの年のスタートを切った。
 さらに七月には東京で開かれた日本選手権水上大会の水球に大学チームにまじって出場した。一回戦で明治大の駿台クラブと対戦し大接戦のすえ10-9で勝ち、二回戦でも法政大Bチームに7-6の1点差で勝って三回戦に進んだ。ここで大学チームのNO1日大に敗れたが、高校チームが全日本選手権で三回戦まで勝ち残ったのは済済黌が初めてで、その新記録によって“済済黌水球部”は実力を高く評価された。
 選手たちが自信を持ったのはいうまでもない。連勝の意欲に満ちて八月十八日から石川県の金沢市営プールで開かれたインタハイに臨んだ。参加校は十五校で前回優勝の済済黌はシードされて一日目は不戦勝ち。大会第二日の十九日、準々決勝で早大学院(東京)と対戦したが、試合は一方的。11-0で大勝した。つづく準決勝の相手校山城高(京都)も寄せつけず、16-2で破って決勝戦へ進んだ。
 大会最終日の二十日は雨の悪コンディション。決勝は宿敵の鴨沂高(京都)である。前年の熊本国体でも決勝戦で対戦し、地元での優勝を夢に終わらせた鴨沂だった。済済黌は激しい闘志をむき出してゲームを盛り上げた。そして終始鴨沂を圧倒し、5-3で連続二年の全国制覇をなし遂げた。

 この決勝戦のもようを熊本日日新聞はつぎのように評した。
 ――「動きの速い済済黌が優位に試合を進めた。第一クォーター47秒済済黌は坂本がマークをはずしてシュート、先取点を上げた。3分には小陳―坂本のうまいパスで2-0とはなした。このあと鴨沂に2点を許し同点に追いつかれた。しかし小陳―坂本のコンビで勝ち越し点をあげ、第四クォーターの1分30秒村山がゴール左からGKのタイミングをうまくはずして大勢を決めた。するどい出足と激しい闘志をもつ攻撃陣、さらにGK入江の好守もあり順当の勝利だった」――
 三十二年の国体優勝を加えれば五度目の全国優勝であった。


昭和36年春、済済黌グラウンドにて恩賜大運動会のパレード前


凱旋した熊本駅ホームで黌長や関係者の出迎えを受ける


※出典「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」(昭和42年 熊本日日新聞社刊)より抜粋
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by swpc | 2011-09-08 15:59 | Trackback | Comments(0)

インタハイ三度目のタイトル

 三十五年の第二十八回インタハイで済済黌は三度目の優勝をものにした。
 三十五年は第十五回熊本国体の年である。あらゆる種目がそうであったように、済済黌の水球部には郷土の国体に花をそえる優勝の期待がかけられていた。主将の島田輝昭、奥村昭吾、大村健治、桑山博克、小陳修臣、入江昭雄、堀緑容、坂本征也、豊永修介、大迫寿正、上村洋らこの年の水球部員は小がらばかりで、技術的にも過去のチームにくらべたらまだ相当の開きがあった。はっきり言って全国優勝の望めるチームではなかった。部長の平田忠彦、コーチの矢賀正雄は“熊本国体”を目標に「練習だけが勝利への道だ」と選手たちを励まし、三月から練習に入った。血のにじむような猛練習が続き、技術、精神両面でもしだいにうまく、たくましく育っていった。在京の先輩は東京での合宿練習をすすめ、選手たちは七月下旬から日大プールの合宿、大学チームとの合同練習で、見違えるほどの強チームに生まれかわった。
 インタハイは八月二十九日から三日間東京・神宮プールで開かれた。水球の参加チームは十六校。済済黌はシードされた。一回戦の相手学習院高(東京)は棄権のため不戦勝ち。二回戦では天理高(奈良)と対戦したが20-0の大差で寄せつけなかった。三回戦は準決勝。だがこの成蹊高(東京)も問題なく11-1と快勝した。
 最終日の決勝相手ほ強敵の鴨沂高(京都)。済済黌は猛練習で得た力を十二分に発揮して高校水球界の覇者となった。
【評】済済黌はスタートから好調。開始後1分鴨沂ゴール前の混戦でフリースローを得た小陳からのパスを奥村がキーパーの逆をついて左隅にシュートを決め先制点をあげた。つづいて5分には奥村からのパスを小陳が左サイドから決めて早くも2点をリード。鴨沂も7分に小野が中央から左隅に決めて1点差とし、さらに8分済済大村の反則退水でチャンスをつかむかにみえたが、済済の固いディフェンスにあって得点できず2-1と済済リードのまま前半を終わる。後半に入って鴨沂は1分に林が同点シュートを放って反撃の気配をみせる。しかし済済はよく球につき、4分には奥村が右隅、5分には小陳が左隅と得点をかさね、7分にも鴨沂林の退水のときゾーンでたくみにゴール前に球を回し、堀が右隅に駄目押しともいえる5点日をあげた。…選手の体力においては鴨沂がはるかにまさり下馬評互角の決勝戦で激戦が予想されたが、済済黌のファイトとまとまったチームワークは勝負を一方的にした(八月二十二日付け、熊本日日新聞)


左から堀、坂本、小陳、大村、島田、桑山、入江


 しかしつづく熊本国体では鴨沂に1-2で敗れて準優勝に終わった。だが非力なチームでも努力すれば勝てるという教訓を残したインタハイの優勝だった。


前列左から島田、堀、後列左から小陳、大村、桑山、入江、奥村


※出典「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」(昭和42年 熊本日日新聞社刊)より抜粋
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by swpc | 2011-09-01 13:32 | Trackback | Comments(0)

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


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Note

濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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