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肥後の伝統と水球

 濟濟黌の全国制覇について当時の熊本日日新聞はコラム「新生面」で、次のように水球競技のスポーツとしての良さを述べ、肥後の古流泳法の伝統を紹介している。
 ――「濟濟黌高校の水球部がインタハイで優勝して帰ってきた▼もしこれが野球の全国高校で優勝したのなら、熊本市中沸き返るような歓迎振りで、一人や二人熊本駅で踏み潰されるようなチン事が起こったかもしれないぐらいだが、水球優勝ではそんなこともなかった。(略)▼水球というと見たことのない人が多かろう。ボールをゴールに入れるのはフット・ボールと同じで、人数が少ない(七人)点からいうとバスケット・ボールに似ている▼もちろん選手一人一人の泳ぎのスピードと、ボールの操作の技術と全体のチームワークが主なファクターとなる。少ない人数でそのすべてを満足させるためには、全部のレベルが揃っていなくてはならない。そのため、特別なスターポジションというものはない(略)▼水球なども野球に押されて影が薄いが、運動としてはまず理想的な運動に属するだろう▼ところで水球でボールをシュートしたり、ゴールキーパーがシュートを防いだりする時、どうしても立泳ぎが必要となる▼濟濟黌の水球が強いのは、もちろん伝統と猛練習によるものであるが、その伝統というものの中には肥後水練の踏水術の伝統があることを見逃してはならない▼水球というと、クロールやバックやブレストなどの競泳と思い勝ちな人たちに『御前泳』が濟濟黌水球を優勝させた因子であったことを知っておいてもらうのは不必要なことではあるまい」――
肥後の伝統と水球_d0251172_1555876.jpg こうしてインタハイで二度の優勝を遂げた濟濟黌水球部は、その後も国体、インタハイで三回の全国制覇を飾っている。そしてオリンピック選手延べ四人をはじめ、数多くの国際試合に出場する選手を生み出してきた。時代は三十年以降になるが、ついでに全国優勝と国際選手を中心にその後の活躍ぶりをながめてみよう。
 国民体育大会に高校府県対抗水球が加えられたのは、二十九年の第九回国体からである。インタハイでは二度の優勝経験を持つ濟濟黌だが、第九回いらい国体ではつねに決勝戦で敗れて第二位を続けていた。国体初優勝の栄冠に輝いたのは三十二年の第十二回静岡国体である。

※出典「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」(昭和42年 熊本日日新聞社刊)より抜粋
by swpc | 2011-08-25 10:51

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


by swpc

Note

濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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