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静岡国体でも優勝

 静岡国体の夏季大会は九月二十二日から四日間浜松市の元城プールを主会場に行われた。水球競技は大会第三日の二十四日に始まった。参加校が少なく、東京代表の城北、京都代表の山城と濟々黌の三チーム。チーム数は少ないが当時としては高校レベルの最高である三地区代表だけに、三校リーグの試合内容はすぐれたものであった。
 平田部長と、水球部の大先輩としてコーチを買って出た矢賀正雄は、選手たちといっしょになって国体優勝の悲願達成に全力を注ぎ、強力なFWを持つチームでこの大会にのぞんだ。
 メンバーは、主将の吉邑紀義以下藤本重信、梅本秀一、桑山隆弘、柴田徹、米村彰芳、米原邦夫、宮川弘之、柴垣武彦、小泉満だった。
 大会三日目の九月二十四日、濟々黌は浜松北高プールで城北高(東京)と戦った。前半4-0、後半3-1、結局7-1で楽勝した。熊本日日新聞はこの試合評を次のように書いている。
 ――「7-1のスコアだが、実力的にはもっと開きがあったろう。プールが狭く水深がないため得点差をちぢめたといえる。熊本はFW藤本、吉邑のコンビがピッタリと合い、試合は熊本のペースで一方的に進められた」――
 そして最終日の二十五日午後一時から京都代表の山城高と優勝を争った。あいにくの雨で、気温は低くコンディションは最悪だった。高松宮殿下をお迎えして、選手は寒さも忘れて奮闘した。そして7-2で国体初優勝を飾ったのである。
 ▽水球決勝戦

 ――【評】濟々黌のFW藤本、吉邑のコンビが高校生ばなれのした妙技を随所に見せてくれた。開始2分山城ゴール前で両選手がスクリーン・プレーで藤本がノーマークとなってきれいにきめたのをはじめ、6分にも吉邑―藤本で右スミに2点目をあげてリード。さらに7分、それまで山城のチャンスの芽を再三つぶしていたLB梅本が中継からドリブルで突っ込み、ノーマーク・シュートを決めるなど鮮やかな試合運びをみせた。後半になって濟々黌の攻撃に手を焼いた山城はゴールを三人で守るという愚策をとったためかえって点差を開かれた――。(九月二十六日付け、熊本日日新聞)
 国体出場は過去連続三年、いずれも決勝で敗れて第二位だった。その濟々黌が三年連続優勝の京都・鴨沂高にかわって熊本に優勝旗を持ち帰った。


優勝旗を持って凱旋した熊本駅頭で祝福を受ける選手たち(1957.9.27)


※出典「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」(昭和42年 熊本日日新聞社刊)より抜粋
by swpc | 2011-08-27 08:55

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


by swpc

Note

濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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