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インタハイ三度目のタイトル

 三十五年の第二十八回インタハイで済済黌は三度目の優勝をものにした。
 三十五年は第十五回熊本国体の年である。あらゆる種目がそうであったように、済済黌の水球部には郷土の国体に花をそえる優勝の期待がかけられていた。主将の島田輝昭、奥村昭吾、大村健治、桑山博克、小陳修臣、入江昭雄、堀緑容、坂本征也、豊永修介、大迫寿正、上村洋らこの年の水球部員は小がらばかりで、技術的にも過去のチームにくらべたらまだ相当の開きがあった。はっきり言って全国優勝の望めるチームではなかった。部長の平田忠彦、コーチの矢賀正雄は“熊本国体”を目標に「練習だけが勝利への道だ」と選手たちを励まし、三月から練習に入った。血のにじむような猛練習が続き、技術、精神両面でもしだいにうまく、たくましく育っていった。在京の先輩は東京での合宿練習をすすめ、選手たちは七月下旬から日大プールの合宿、大学チームとの合同練習で、見違えるほどの強チームに生まれかわった。
 インタハイは八月二十九日から三日間東京・神宮プールで開かれた。水球の参加チームは十六校。済済黌はシードされた。一回戦の相手学習院高(東京)は棄権のため不戦勝ち。二回戦では天理高(奈良)と対戦したが20-0の大差で寄せつけなかった。三回戦は準決勝。だがこの成蹊高(東京)も問題なく11-1と快勝した。
 最終日の決勝相手ほ強敵の鴨沂高(京都)。済済黌は猛練習で得た力を十二分に発揮して高校水球界の覇者となった。
【評】済済黌はスタートから好調。開始後1分鴨沂ゴール前の混戦でフリースローを得た小陳からのパスを奥村がキーパーの逆をついて左隅にシュートを決め先制点をあげた。つづいて5分には奥村からのパスを小陳が左サイドから決めて早くも2点をリード。鴨沂も7分に小野が中央から左隅に決めて1点差とし、さらに8分済済大村の反則退水でチャンスをつかむかにみえたが、済済の固いディフェンスにあって得点できず2-1と済済リードのまま前半を終わる。後半に入って鴨沂は1分に林が同点シュートを放って反撃の気配をみせる。しかし済済はよく球につき、4分には奥村が右隅、5分には小陳が左隅と得点をかさね、7分にも鴨沂林の退水のときゾーンでたくみにゴール前に球を回し、堀が右隅に駄目押しともいえる5点日をあげた。…選手の体力においては鴨沂がはるかにまさり下馬評互角の決勝戦で激戦が予想されたが、済済黌のファイトとまとまったチームワークは勝負を一方的にした(八月二十二日付け、熊本日日新聞)


左から堀、坂本、小陳、大村、島田、桑山、入江


 しかしつづく熊本国体では鴨沂に1-2で敗れて準優勝に終わった。だが非力なチームでも努力すれば勝てるという教訓を残したインタハイの優勝だった。


前列左から島田、堀、後列左から小陳、大村、桑山、入江、奥村


※出典「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」(昭和42年 熊本日日新聞社刊)より抜粋
by swpc | 2011-09-01 13:32

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


by swpc

Note

濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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