俊秀群像
昭和25年(1950)から20年の永きにわたり、済々黌水球部の部長として栄光の時代を築かれた平田忠彦先生が、昭和53年に「日本高等学校 水球三十年史」を出版された。この本が出版されてから既に33年の月日が流れ、平田先生ご本人を始め、多くの先輩方が鬼籍に入られた。
この本の一部をご紹介しながら偉大な先輩方を偲びたい。
「済々たる多士、文王以て寧し」(詩経・大雅篇)これが済々黌の黌名の出典である。
明治十二年に創立された済々黌は近く百周年を迎えようとしているが、その間輩出した人材は枚挙にいとまがないほどである。頂度それと同じように、終戦直後に始まった済々黌水球部の今日までの三十二年間の歴史をふり返ってみると、全く文字通り、「済々たる多士」を輩出している。オリンピック出場選手七名(延べ九名)オリンピック水球監督二名、その他アジア大会出場選手十一名、ユニバーシアード出場選手十七名、海外に遠征した選手三十名、まことに驚くべき数であって、一つのクラブからこのように多数の名選手を送り出した学校は日本中にもあまり例がないのではなかろうか。
今、これらの日本の水球界を背負って活躍した多くの名選手や、思い出の中に生きるあの人この人をぬき出して、その面影を偲ぶこととする。
草創期の人々
先ず第一に挙げなければならないのは古荘・飯田の両氏であろう。古荘次平氏は御存知の通り日本の水球界の草分け、ベルリン大会にキーパーとして出場した名選手であり、飯田寿平氏も早大在学中は水球チームの要として活躍した人である。両氏共に済々黌の出身ではないけれども、済々黌水球部の恩人である。終戦直後の昭和二十一年、食もなく家もなく、みじめな世相の中でとかく卑屈になり勝ちを若人たちを集めて、旧五高プールで水球の手ほどきを試みたこの両氏の功績は誠に大なるものがあると思う。
これが契機となって、昭和二十一年の秋には早くも済々黌と熊本高校にそれぞれ水球チームが誕生し、翌昭和二十二年八月に兵庫県の宝塚プールに於て行なわれた第十五回全国中学選手権大会には両チーム共に出場、思いがけなくも済々黌チームは決勝戦に進出、当時強豪を誇った天王寺中学に5-3をもって惜しくも敗れはしたものの、二位を確保出来たことが、その後の済々黌の水球部の発展にどれほど大きなプラスを与えたかは言うまでもない事であった。爾来、今日まで古荘・飯田の両氏には引きつづき指導助言をいただいているが、全く有難いことである。
初代水球部長の吉田長善氏も忘れてはならない人であろう。早大の史学科卒業後、母校済々黌に勤め社会科の担当、有名な熊本の相撲の司家の当主でもあって、公私ともに多忙であったが、水球部の部長としても良く選手たちの世話をし、遠征の時などは専ら栄養補給の面で奔走、選手たちを喜ばせた。小堀流出身。部育成の功績は大きい。
さて、済々黌水球部のOB選手たちとなると、皆が思い出の対象となるわけであるが、年代順にかいつまんで述べてみたい。
木村晋君、昭和二十年四月江田島海軍兵学校の最後の生徒として入校、やがて敗戦で復員、済々黌に再入学したという経歴の人。宝塚プールにおける第十五回全国中学大会には松前健男氏(東海大教授)と共にコーチとして初の水球チームを率いて参加、以来今日まで大先輩として後輩の世話をしている。熊本でも古い電気商の当主。GKさんとして親しまれている。
矢賀正雄君、日本の水球関係者でその名前を知らない人はまずあるまい。昭和三十年以降ずっと済々黌水球部の指導者として活躍、度々優勝をもたらした。多くの試合をみ、熱心に研究し、実地に応用して日本の水球のレベルアップを願うまじめな努力家である。笛も正確でルールに精通し、九州では最も信頼出来るレフェリーでもある。済々黌OB会、済泳会を組織し、会員相互の連絡、後輩の指導、会報の発行など精力的に活躍している。立命館大卒で本職は西山中学の先生、常に謙虚で恬淡。まだ四十代の若さなので、今後の活躍を期待する。
矢島大君、在校中は、創部まもなくの水球部の主将としてチームづくりに活躍、同時に秀才の矢島としても有名、済々黌卒業時には成績優秀のゆえをもって恩賜記念賞を受賞している。一橋大卒業後、三井銀行に勤務、目下済泳会東京支部長としてOB会のまとめ役。
家人逸郎君、済々黌・早大と一貫して水球選手として活躍。後輩の面倒をよくみ、いろいろ指導助言を与える。母校済々黌を愛する点においては人後におちない。理論家であると共にロマンチストでもある。浮世の辛酸を知りつくした実業家、今後の大成を期待する。
他に清田信一君、甲斐二郎君、田代一生君など在熊のOB諸子がいる。それぞれ今もなお本務のかたわら水泳への情熱を傾け、若手選手の育成に努めている。
異色のOBの一人に三浦八水君がいる。県農協の中央連合会長、既に県議の経験もあり、やがて国政に参与する日も来るだろう、自民党の若手ホープ、山鹿市水泳協会長。
昭和も二十五、六年となると水球部の基礎も固まり、実力的にも優勝をねらえる状態となり、名選手が陸続として生まれ出た。
藤田恒夫君、済々黌・早大を通じて水球選手として活躍、済々黌時代には主将、現在新日本ダンボールに勤務、矢島・家人の諸君とともに東京済泳会の中心人物。
遠山徳一君、阿蘇内牧の温泉旅館ホテル角万を経営、ホテル内に温水プールを設けて、水泳への情熱をみせている。
津田修(旧姓佐野)・藤本武士の両君も健在、津田君はハンドボールの指導者として藤本君は剣道でそれぞれ名をなしている。
安浪渡君、済々黌から熊大工学部に進学。大学一年の時、済々黌コーチの大任を負い、美事第一回目の全国制覇の偉業をなしとげた功績は大きい。真面目なエンジニア、広島の三菱重工に勤務中、在校中は主将、美しい泳ぎで国体出場の経歴も持つ。
古賀伸一郎君、済々黌・早大と一貫してGKとして活躍、GKとしては日本一の定評があった。第二回アジア大会に参加、早大卒業後は共同通信に入社、現在スポーツ記者として活躍中。
田代二生君、古賀君同様早大卒、アジア大会にも参加した、早大水球部の監督、ユニバーシアード日本チームの監督などをつとめた、明噺な頭脳と「かん」は有名。
牧野耕治君、千葉大医学部卒、千葉県の茂原市で病院を開業、医学博士、済々黌在校中はずっとバックスとして活躍した。
大坪藤哉・大学の兄弟選手も健在。
故高木昌一君、中大卒業後わずか一年で交通事故のため死亡、中大水球部の基礎を築いたその功績は高く評価されている。昭和三十九年に高木・飯田杯を設けて大学水球リーグの勝者に授与することとなったが、若くして散った二人の天才選手の名はいつまでも残ってゆくだろう。

昭和26年のチームメンバー
この本の一部をご紹介しながら偉大な先輩方を偲びたい。
(柴田範房)
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「済々たる多士、文王以て寧し」(詩経・大雅篇)これが済々黌の黌名の出典である。
明治十二年に創立された済々黌は近く百周年を迎えようとしているが、その間輩出した人材は枚挙にいとまがないほどである。頂度それと同じように、終戦直後に始まった済々黌水球部の今日までの三十二年間の歴史をふり返ってみると、全く文字通り、「済々たる多士」を輩出している。オリンピック出場選手七名(延べ九名)オリンピック水球監督二名、その他アジア大会出場選手十一名、ユニバーシアード出場選手十七名、海外に遠征した選手三十名、まことに驚くべき数であって、一つのクラブからこのように多数の名選手を送り出した学校は日本中にもあまり例がないのではなかろうか。
今、これらの日本の水球界を背負って活躍した多くの名選手や、思い出の中に生きるあの人この人をぬき出して、その面影を偲ぶこととする。
草創期の人々
先ず第一に挙げなければならないのは古荘・飯田の両氏であろう。古荘次平氏は御存知の通り日本の水球界の草分け、ベルリン大会にキーパーとして出場した名選手であり、飯田寿平氏も早大在学中は水球チームの要として活躍した人である。両氏共に済々黌の出身ではないけれども、済々黌水球部の恩人である。終戦直後の昭和二十一年、食もなく家もなく、みじめな世相の中でとかく卑屈になり勝ちを若人たちを集めて、旧五高プールで水球の手ほどきを試みたこの両氏の功績は誠に大なるものがあると思う。
これが契機となって、昭和二十一年の秋には早くも済々黌と熊本高校にそれぞれ水球チームが誕生し、翌昭和二十二年八月に兵庫県の宝塚プールに於て行なわれた第十五回全国中学選手権大会には両チーム共に出場、思いがけなくも済々黌チームは決勝戦に進出、当時強豪を誇った天王寺中学に5-3をもって惜しくも敗れはしたものの、二位を確保出来たことが、その後の済々黌の水球部の発展にどれほど大きなプラスを与えたかは言うまでもない事であった。爾来、今日まで古荘・飯田の両氏には引きつづき指導助言をいただいているが、全く有難いことである。
初代水球部長の吉田長善氏も忘れてはならない人であろう。早大の史学科卒業後、母校済々黌に勤め社会科の担当、有名な熊本の相撲の司家の当主でもあって、公私ともに多忙であったが、水球部の部長としても良く選手たちの世話をし、遠征の時などは専ら栄養補給の面で奔走、選手たちを喜ばせた。小堀流出身。部育成の功績は大きい。
さて、済々黌水球部のOB選手たちとなると、皆が思い出の対象となるわけであるが、年代順にかいつまんで述べてみたい。
木村晋君、昭和二十年四月江田島海軍兵学校の最後の生徒として入校、やがて敗戦で復員、済々黌に再入学したという経歴の人。宝塚プールにおける第十五回全国中学大会には松前健男氏(東海大教授)と共にコーチとして初の水球チームを率いて参加、以来今日まで大先輩として後輩の世話をしている。熊本でも古い電気商の当主。GKさんとして親しまれている。
矢賀正雄君、日本の水球関係者でその名前を知らない人はまずあるまい。昭和三十年以降ずっと済々黌水球部の指導者として活躍、度々優勝をもたらした。多くの試合をみ、熱心に研究し、実地に応用して日本の水球のレベルアップを願うまじめな努力家である。笛も正確でルールに精通し、九州では最も信頼出来るレフェリーでもある。済々黌OB会、済泳会を組織し、会員相互の連絡、後輩の指導、会報の発行など精力的に活躍している。立命館大卒で本職は西山中学の先生、常に謙虚で恬淡。まだ四十代の若さなので、今後の活躍を期待する。
矢島大君、在校中は、創部まもなくの水球部の主将としてチームづくりに活躍、同時に秀才の矢島としても有名、済々黌卒業時には成績優秀のゆえをもって恩賜記念賞を受賞している。一橋大卒業後、三井銀行に勤務、目下済泳会東京支部長としてOB会のまとめ役。
家人逸郎君、済々黌・早大と一貫して水球選手として活躍。後輩の面倒をよくみ、いろいろ指導助言を与える。母校済々黌を愛する点においては人後におちない。理論家であると共にロマンチストでもある。浮世の辛酸を知りつくした実業家、今後の大成を期待する。
他に清田信一君、甲斐二郎君、田代一生君など在熊のOB諸子がいる。それぞれ今もなお本務のかたわら水泳への情熱を傾け、若手選手の育成に努めている。
異色のOBの一人に三浦八水君がいる。県農協の中央連合会長、既に県議の経験もあり、やがて国政に参与する日も来るだろう、自民党の若手ホープ、山鹿市水泳協会長。
昭和も二十五、六年となると水球部の基礎も固まり、実力的にも優勝をねらえる状態となり、名選手が陸続として生まれ出た。
藤田恒夫君、済々黌・早大を通じて水球選手として活躍、済々黌時代には主将、現在新日本ダンボールに勤務、矢島・家人の諸君とともに東京済泳会の中心人物。
遠山徳一君、阿蘇内牧の温泉旅館ホテル角万を経営、ホテル内に温水プールを設けて、水泳への情熱をみせている。
津田修(旧姓佐野)・藤本武士の両君も健在、津田君はハンドボールの指導者として藤本君は剣道でそれぞれ名をなしている。
安浪渡君、済々黌から熊大工学部に進学。大学一年の時、済々黌コーチの大任を負い、美事第一回目の全国制覇の偉業をなしとげた功績は大きい。真面目なエンジニア、広島の三菱重工に勤務中、在校中は主将、美しい泳ぎで国体出場の経歴も持つ。
古賀伸一郎君、済々黌・早大と一貫してGKとして活躍、GKとしては日本一の定評があった。第二回アジア大会に参加、早大卒業後は共同通信に入社、現在スポーツ記者として活躍中。
田代二生君、古賀君同様早大卒、アジア大会にも参加した、早大水球部の監督、ユニバーシアード日本チームの監督などをつとめた、明噺な頭脳と「かん」は有名。
牧野耕治君、千葉大医学部卒、千葉県の茂原市で病院を開業、医学博士、済々黌在校中はずっとバックスとして活躍した。
大坪藤哉・大学の兄弟選手も健在。
故高木昌一君、中大卒業後わずか一年で交通事故のため死亡、中大水球部の基礎を築いたその功績は高く評価されている。昭和三十九年に高木・飯田杯を設けて大学水球リーグの勝者に授与することとなったが、若くして散った二人の天才選手の名はいつまでも残ってゆくだろう。
(続く)

昭和26年のチームメンバー
by swpc
| 2012-01-27 13:36

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
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柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
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