俊秀群像(2)
▼勝者の面影
日本高校五回、国体二回の優勝者の中から思い出の人々をぬき出してみよう。
佐伯卓三君、第一回インターハイ優勝チームの主将、ゴールキーパー。旺盛なファイトと強い意志と明晰な頭脳の持ち主、シーズン中は、夜の七時八時まで水球の練習をしても家に帰ってからは又猛烈に夜明けまで勉強した。当時の進適では済々黌一の最高点をマークした人でもある。明朗、快達で頼りになる人物、神戸商大卒現在セキスイハウス取締役兼九州営業部長。
菅原平君(別項)
大島淳之助君、在校中はバックスとして活躍した。日大進学後も選手や総務として日大水球部の基礎を築いた。現在小倉のNCRに勤務中。
竜川武弘君、済々黌から熊大に進学、熊大二年の時から済々黌のコーチとなり二十八年の第二回目のインターハイ優勝をなしとげた。済々黌時代は名フォワード、菅原君とのコンビで優勝の原動力となった。現在鹿本地方事務所の指導主事。
坂田定苗君、第一回優勝チームの名マネージャー。三十年の済々黌の水球史の中でも彼に勝るマネージャーはいない。万事に気がつくし、世話はとどくし、初優勝の陰には彼のかくれた苦心がものを言っている。現在西鉄グランドホテルの旅客課長。
河北文雄君、熊本産交勤務、同じく第一回優勝チームのメンバー、時折り母校をたずねては後輩を激励している。
田代晃一君、二年生として水垣憲二君 (在甲府市)と共にチームに加わり健闘した、後早大に入学、アジア大会候補となったが病のため辞退、現在日本航空に勤務中。
田久保徹君(別項)
井上融君、第二回インターハイ優勝時の立役者、攻守に美技をみせた。日大卒、現在前橋SSのヘッドコーチ。
前田隆啓君、第二回優勝チームにおいて、井上君と共に守備の要として活躍、現在熊本にあって自営。
宮村元信君(別項)
澁谷竜志君、第二回優勝チームのゴールキーパー。済々黌在学中ずっとGKとして活躍した。東京水産大卒、現在東京にあって自営、後輩を思う念厚く、済泳会の世話役。
故飯田桂三君、若くしてこの世を去ったが全く水球のために生まれて来たような人で水球の天才、済々黌在学中も、日大でも、又日大監督としても常に先頭に立って活躍した。パリのユニバーシアード大会に出場、当然ローマ五輪にも参加の予定であったが、不幸病を得て夭折した。高木・飯田杯としてその名を残している。君がもし、今に生存するならば、日本の水球界も一段の進歩をとげていたろうとさえ思われるくらいで、惜しい人物であった。
田上新一郎君、済々黌在校中、水球選手として活躍、現在日動火災海上の熊本支社長、温厚を紳士。
松本巍君(旧姓福村)宮村・澁谷君と同様、日本高校をはじめ、第一回国体参加の天理大会に出場した。現在は建築士として自営、済泳会の名会計。余暇があればプールで後輩の世話をしている。
内田啓一君、優勝した名古屋インターハイに一年生として参加、日大歯科入学後も水球をやめず日大主将、鋭い泳ぎと独得のシュートは定評があった。医学博士、西武診療所勤務、東京済泳会の幹事。
なお同じ頃、女性選手としてインターハイに出場した人に福田富貴子(現姓津守)背泳、山本政子(現姓三井所)乎泳の二人がいる。水球オンリーの済々黌にあって自己の泳ぎを生かす事は容易ではなかったと思うが、それを立派になしとげた人たちである。勿論水球の裏方さんとしても活躍した。
他に河原武夫君(日本航空)本田忠孝君(墨水産業福岡)加来敏祐君、槌田征治君(航空自衛隊土浦)などもいた。本田君は済々黌で主将、日大でも主将をつとめた。槌田君は防衛大卒、現在航空自衛隊幹部として活躍中。
石原節生君、近来稀なファイトマンで泳ぎも強く、彼がそのまま在学していたら三十一年のインターハイ・国体は絶対に優勝していたろうと言われる人である。残念ながら勉学半ばにしてブラジルに渡り現在はブラジルで自営、母校を思う念が強く、たえずたよりをよこしては後輩を励ます。一層の成功を祈りたい。
昭和28年優勝チーム
日本高校五回、国体二回の優勝者の中から思い出の人々をぬき出してみよう。
佐伯卓三君、第一回インターハイ優勝チームの主将、ゴールキーパー。旺盛なファイトと強い意志と明晰な頭脳の持ち主、シーズン中は、夜の七時八時まで水球の練習をしても家に帰ってからは又猛烈に夜明けまで勉強した。当時の進適では済々黌一の最高点をマークした人でもある。明朗、快達で頼りになる人物、神戸商大卒現在セキスイハウス取締役兼九州営業部長。
菅原平君(別項)
大島淳之助君、在校中はバックスとして活躍した。日大進学後も選手や総務として日大水球部の基礎を築いた。現在小倉のNCRに勤務中。
竜川武弘君、済々黌から熊大に進学、熊大二年の時から済々黌のコーチとなり二十八年の第二回目のインターハイ優勝をなしとげた。済々黌時代は名フォワード、菅原君とのコンビで優勝の原動力となった。現在鹿本地方事務所の指導主事。
坂田定苗君、第一回優勝チームの名マネージャー。三十年の済々黌の水球史の中でも彼に勝るマネージャーはいない。万事に気がつくし、世話はとどくし、初優勝の陰には彼のかくれた苦心がものを言っている。現在西鉄グランドホテルの旅客課長。
河北文雄君、熊本産交勤務、同じく第一回優勝チームのメンバー、時折り母校をたずねては後輩を激励している。
田代晃一君、二年生として水垣憲二君 (在甲府市)と共にチームに加わり健闘した、後早大に入学、アジア大会候補となったが病のため辞退、現在日本航空に勤務中。
田久保徹君(別項)
井上融君、第二回インターハイ優勝時の立役者、攻守に美技をみせた。日大卒、現在前橋SSのヘッドコーチ。
前田隆啓君、第二回優勝チームにおいて、井上君と共に守備の要として活躍、現在熊本にあって自営。
宮村元信君(別項)
澁谷竜志君、第二回優勝チームのゴールキーパー。済々黌在学中ずっとGKとして活躍した。東京水産大卒、現在東京にあって自営、後輩を思う念厚く、済泳会の世話役。
故飯田桂三君、若くしてこの世を去ったが全く水球のために生まれて来たような人で水球の天才、済々黌在学中も、日大でも、又日大監督としても常に先頭に立って活躍した。パリのユニバーシアード大会に出場、当然ローマ五輪にも参加の予定であったが、不幸病を得て夭折した。高木・飯田杯としてその名を残している。君がもし、今に生存するならば、日本の水球界も一段の進歩をとげていたろうとさえ思われるくらいで、惜しい人物であった。
田上新一郎君、済々黌在校中、水球選手として活躍、現在日動火災海上の熊本支社長、温厚を紳士。
松本巍君(旧姓福村)宮村・澁谷君と同様、日本高校をはじめ、第一回国体参加の天理大会に出場した。現在は建築士として自営、済泳会の名会計。余暇があればプールで後輩の世話をしている。
内田啓一君、優勝した名古屋インターハイに一年生として参加、日大歯科入学後も水球をやめず日大主将、鋭い泳ぎと独得のシュートは定評があった。医学博士、西武診療所勤務、東京済泳会の幹事。
なお同じ頃、女性選手としてインターハイに出場した人に福田富貴子(現姓津守)背泳、山本政子(現姓三井所)乎泳の二人がいる。水球オンリーの済々黌にあって自己の泳ぎを生かす事は容易ではなかったと思うが、それを立派になしとげた人たちである。勿論水球の裏方さんとしても活躍した。
他に河原武夫君(日本航空)本田忠孝君(墨水産業福岡)加来敏祐君、槌田征治君(航空自衛隊土浦)などもいた。本田君は済々黌で主将、日大でも主将をつとめた。槌田君は防衛大卒、現在航空自衛隊幹部として活躍中。
石原節生君、近来稀なファイトマンで泳ぎも強く、彼がそのまま在学していたら三十一年のインターハイ・国体は絶対に優勝していたろうと言われる人である。残念ながら勉学半ばにしてブラジルに渡り現在はブラジルで自営、母校を思う念が強く、たえずたよりをよこしては後輩を励ます。一層の成功を祈りたい。
(続く)
昭和28年優勝チーム
by swpc
| 2012-02-13 19:46
ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
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