俊秀群像(3)
静岡国体優勝の選手たちの中にも又すぐれた人材がいた。
吉邑紀義君、国体初優勝チームの主将である。東京教育大卒後埼玉県に奉職、埼玉国体で川口高校を優勝させた。筆者の退任時に後任として濟々黌に招く。以来濟々黌の監督として活躍している。
藤本重信君(別項)
他に梅本秀一君、北岡祥靖君、桑山隆弘君がいる。梅本君は温厚な紳士、北岡君は一昨年帰熊、東京海上熊本店に勤務中、桑山君は日大でも水球選手として活躍した。日大卒後は製薬会社に勤務していた。有名な博克君の長兄。
当時の二年生としては、米村彰芳君、柴田徹君がいる。米村君は先年帰熊、人吉市でゴルフ場の副支配人、奥様は九州女学院短大の教授で名ピアニスト。
一年生としては、米原邦夫・坂本和義・宮川弘之・宮本孝典の諸君がいた。坂本君は久留米医大卒業後引つづき大学に残り、現在は病理学教室の講師。医学博士。宮本孝典君も東京で頑張っている。宮川君は法大の水球部の基礎を築いた人。熊本市在住。
熊本国体の前後になると選手の層は一層厚みをまし多士済々。
島田輝昭君、第三回インターハイ優勝時の主将、一ケ月の東京合宿も厳しかったであろうし、また地元熊本での国体も大変だったろうと思うが、ほんとによくやってくれた。現在広島県竹原市にあって中尾醸造に勤務中、頭脳明噺なサラリーマン。
大村健治君、奥村省吾君も健在、奥村君は家業を継いで浴場を経営中。
次の学年になると村山憲三君、入江昭雄君、桑山博克君(別項)小陳修臣君がいる。濟々黌がインターハイで二連勝した時の主力選手たちである。
村山憲三君は濟々黌の多くの選手たちの中で最も体力的にすぐれていた選手で、その泳力の強さは無類であった。GKとして又バックスとして活躍した。日大卒後東京でサラリーマン生活を続けていたが昨年より神戸でスイミングクラブを指導中。
入江君は中大卒業後簡易保険事業団に入っているが母校を思う念に燃え、余暇があれば母校にも顔を出す。ファイトマンである。小陳君も同様、会津若松の国体では大活躍をした選手である。
当時の二年生には堀緑良(法大卒)坂本征也(別項)豊永修介(中大卒)松田康(法大卒)の諸君がいる。堀君は人も知る傑物。小事に拘泥せず、わが道をゆく人、先年熊本に帰り会社を経営、豪酒家。
豊永君は久留米にあって会社を経営、いつも熊本にやって来て後輩の指導をしている。OB選手をひきいて前後二回関西選手権に遠征した。
松田君も千葉にいるがOB会にはいつもかけつけてくる、好紳士である。
これ以後になると、深迫章、柴田範房、下村佑次郎、平田和彦、福永冠治、藤本勇夫と続き、更に藤本重彦、徳永慶八、村上和夫、河田正道、中島清志、西本賢一、野中史之の諸君となるわけであるが、柴田君は防府BS、下村君は熊本で自営、愚息和彦は韓国・ハワイに遠征、現在は福岡積和、福永君は和歌山新宮商業の水球監督。藤本君は人吉市で自営。藤本重彦君はメキシコのプレオリンピックや東京ユニバーシアードに出場、現在東京材料に勤務中。徳永君は中大水球部の中興の主、在東京。村上君は熊本ヤクルト、往年のファイトいまだおとろえず。河田、西本、野中の諸君も健在。
これ以後にもインターハイ、国体と二度の優勝があり、それぞれ一騎当千のつわものたちがいるわけであるが、まだまだ春秋に富む若い人たちなので、今後の一層の活躍を記念しながら一応俊秀群像篇を終わることとする。
昭和32年優勝チーム
吉邑紀義君、国体初優勝チームの主将である。東京教育大卒後埼玉県に奉職、埼玉国体で川口高校を優勝させた。筆者の退任時に後任として濟々黌に招く。以来濟々黌の監督として活躍している。
藤本重信君(別項)
他に梅本秀一君、北岡祥靖君、桑山隆弘君がいる。梅本君は温厚な紳士、北岡君は一昨年帰熊、東京海上熊本店に勤務中、桑山君は日大でも水球選手として活躍した。日大卒後は製薬会社に勤務していた。有名な博克君の長兄。
当時の二年生としては、米村彰芳君、柴田徹君がいる。米村君は先年帰熊、人吉市でゴルフ場の副支配人、奥様は九州女学院短大の教授で名ピアニスト。
一年生としては、米原邦夫・坂本和義・宮川弘之・宮本孝典の諸君がいた。坂本君は久留米医大卒業後引つづき大学に残り、現在は病理学教室の講師。医学博士。宮本孝典君も東京で頑張っている。宮川君は法大の水球部の基礎を築いた人。熊本市在住。
熊本国体の前後になると選手の層は一層厚みをまし多士済々。
島田輝昭君、第三回インターハイ優勝時の主将、一ケ月の東京合宿も厳しかったであろうし、また地元熊本での国体も大変だったろうと思うが、ほんとによくやってくれた。現在広島県竹原市にあって中尾醸造に勤務中、頭脳明噺なサラリーマン。
大村健治君、奥村省吾君も健在、奥村君は家業を継いで浴場を経営中。
次の学年になると村山憲三君、入江昭雄君、桑山博克君(別項)小陳修臣君がいる。濟々黌がインターハイで二連勝した時の主力選手たちである。
村山憲三君は濟々黌の多くの選手たちの中で最も体力的にすぐれていた選手で、その泳力の強さは無類であった。GKとして又バックスとして活躍した。日大卒後東京でサラリーマン生活を続けていたが昨年より神戸でスイミングクラブを指導中。
入江君は中大卒業後簡易保険事業団に入っているが母校を思う念に燃え、余暇があれば母校にも顔を出す。ファイトマンである。小陳君も同様、会津若松の国体では大活躍をした選手である。
当時の二年生には堀緑良(法大卒)坂本征也(別項)豊永修介(中大卒)松田康(法大卒)の諸君がいる。堀君は人も知る傑物。小事に拘泥せず、わが道をゆく人、先年熊本に帰り会社を経営、豪酒家。
豊永君は久留米にあって会社を経営、いつも熊本にやって来て後輩の指導をしている。OB選手をひきいて前後二回関西選手権に遠征した。
松田君も千葉にいるがOB会にはいつもかけつけてくる、好紳士である。
これ以後になると、深迫章、柴田範房、下村佑次郎、平田和彦、福永冠治、藤本勇夫と続き、更に藤本重彦、徳永慶八、村上和夫、河田正道、中島清志、西本賢一、野中史之の諸君となるわけであるが、柴田君は防府BS、下村君は熊本で自営、愚息和彦は韓国・ハワイに遠征、現在は福岡積和、福永君は和歌山新宮商業の水球監督。藤本君は人吉市で自営。藤本重彦君はメキシコのプレオリンピックや東京ユニバーシアードに出場、現在東京材料に勤務中。徳永君は中大水球部の中興の主、在東京。村上君は熊本ヤクルト、往年のファイトいまだおとろえず。河田、西本、野中の諸君も健在。
これ以後にもインターハイ、国体と二度の優勝があり、それぞれ一騎当千のつわものたちがいるわけであるが、まだまだ春秋に富む若い人たちなので、今後の一層の活躍を記念しながら一応俊秀群像篇を終わることとする。
(次回の「オリンピックの華」へ続く)
昭和32年優勝チーム
by swpc
| 2012-02-14 15:42

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
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