水球19年(その4)
▼第三期の黄金時代
昭和の42年、43年が第三期の黄金時代になる。42年はインターハイ優勝。43年は国体優勝。いづれも場所は福井であった。
42年の時は木村主将率いるチームで、田代・園田・木本・西田・宮田・敷島・谷口・浜田の諸選手がいた。決勝リーグでは関西、川口、臼杵と当時全国で最も強剛を誇った各チームが相手であったが1勝2引分けで辛くも優勝した。
43年時も同様で、九州予選で敗退、インターハイには出場出来ず涙をのんだチームであったが、国体時には見違えるようなファイトで次々と勝ち進み、決勝リーグに於ては2勝1引分けて堂々と優勝した。組合せが良かった為もあるけれども3年グループの宮田・西田・敷島・谷口の諸君の活躍は特筆ものであった。
この第三期の黄金時代からは木村君がオリンピック選手となり、ミュンヘンに渡った。
さて、私が顧問をしていた19年間の済々黌水球部のあゆみを顧みてみるに、強い年、優勝した年には必ず強力な指導者がいた。チーム全体を引っばってゆく、ちゃんとした主将なり選手なりがいた。よかれあしかれ、勉強は二の次にしてでも部の優勝のために全力を傾注する水球狂がいた。その人たちがチームを優勝に導き、同時に済々黌の水球の歴史を作って行った。済々黌の輝かしい水球の歴史は、皆選手自身が自ら作りあげたものであった。勿論歴代の指導者、安浪君、竜川君、さらに矢賀正雄氏等の偉大なる功績がそれぞれの優勝に貢献し、済々黌の水球の歴史をいよいよ不滅のものたらしめたことは、いまさら言うまでもないことであった。
済々黌の水球部は純血である。済々黌の先輩後輩だけでつくり上げてゆくのが済々黌の水球部の最大の特色であって、外部からの侵入を許さない。もともと済々黌の水球は終戦後県水協の古荘・飯田両氏の指導によって始められたものではあるが、この古荘・飯田の両氏は勿論済々黌の先輩ではなかったのだけれども、先輩以上に済々黌に対して好意と愛着とを持って居られ熱心に指導していただいた。この両氏が済々黌水球部草創期の大恩人であることは今更らいうまでもないが、其の後は先輩と後輩とのあたたかい血のつながりが済々黌の水球部を今日まで支えて来たと思う。これは今後ともづっと守りつづけて行かなければならない一つの大きな鉄則である。排他的な意味でなしに、済々黌の水球は済々黌のOB諸氏の手によって指導さるべきものであると私は考えている。どんなに困ってももどんなに苦しくても外部からの指導者やコーチに強化を依頼すべきではない。済泳会の存在はそのためのものと私は理解している。私の過去の経験からみても、他の部はいざ知らず、水球に限り済泳会員による指導が最高の好結果をもたらしている。部の純血を守ることがより大きい水球部の発展と栄光をもたらすものと私は確信している。
この私在任中の19年間にはいろいろのことがあった。校長の好悪により廃部寸前にまで追いこまれたこともあったし、戦に敗れて意気消沈、部解散を唱えた選手もいた。プールの水かえの問題で学校の会計と卓をたたいて論争したこともあったし、日本水連の水球担当者と火の出るようなやりとりをした事もあった。すべては過ぎ去ったなつかしい過去の思い出であるが、歴史は繰り返すともいう。今後もこのような事が再び起きないという保障はない。済々黌水球関係者一同お互い手をとりあって、よりよい明日のために戒心してゆく必要があると思う。
嘗ての小プールに代って今年水球専用の大プールがすばらしい偉容をみせて以前の場所に完成した。新しい水球の歴史の誕生を心から期待する私である。
この19年間にはいろいろな方に大変お世話になった。今はなき古荘次平氏並らびに県水協の飯田寿平氏には格別にお世話をいただいた。その他済泳会の木村晋氏をはじめ清田・矢賀・藤本の諸氏さらに太田黒さんや矢島・家入の東京在住の方々など陰に陽に私を支え私を励まして下さった。有難いことであった。
私は昭和45年済々黌を退職、尚絅高校の方に移ったが、その頃は県の水泳協会の理事長をやり又、県体協の理事などもやっていたので、引きつづき済々黌の水球のお世話などもさせていただき、さらに深まる済々黌と私との縁であった。

昭和42年インターハイ優勝チーム

昭和43年国体優勝、プールへ投げ込まれる平田先生
昭和の42年、43年が第三期の黄金時代になる。42年はインターハイ優勝。43年は国体優勝。いづれも場所は福井であった。
42年の時は木村主将率いるチームで、田代・園田・木本・西田・宮田・敷島・谷口・浜田の諸選手がいた。決勝リーグでは関西、川口、臼杵と当時全国で最も強剛を誇った各チームが相手であったが1勝2引分けで辛くも優勝した。
43年時も同様で、九州予選で敗退、インターハイには出場出来ず涙をのんだチームであったが、国体時には見違えるようなファイトで次々と勝ち進み、決勝リーグに於ては2勝1引分けて堂々と優勝した。組合せが良かった為もあるけれども3年グループの宮田・西田・敷島・谷口の諸君の活躍は特筆ものであった。
この第三期の黄金時代からは木村君がオリンピック選手となり、ミュンヘンに渡った。
さて、私が顧問をしていた19年間の済々黌水球部のあゆみを顧みてみるに、強い年、優勝した年には必ず強力な指導者がいた。チーム全体を引っばってゆく、ちゃんとした主将なり選手なりがいた。よかれあしかれ、勉強は二の次にしてでも部の優勝のために全力を傾注する水球狂がいた。その人たちがチームを優勝に導き、同時に済々黌の水球の歴史を作って行った。済々黌の輝かしい水球の歴史は、皆選手自身が自ら作りあげたものであった。勿論歴代の指導者、安浪君、竜川君、さらに矢賀正雄氏等の偉大なる功績がそれぞれの優勝に貢献し、済々黌の水球の歴史をいよいよ不滅のものたらしめたことは、いまさら言うまでもないことであった。
済々黌の水球部は純血である。済々黌の先輩後輩だけでつくり上げてゆくのが済々黌の水球部の最大の特色であって、外部からの侵入を許さない。もともと済々黌の水球は終戦後県水協の古荘・飯田両氏の指導によって始められたものではあるが、この古荘・飯田の両氏は勿論済々黌の先輩ではなかったのだけれども、先輩以上に済々黌に対して好意と愛着とを持って居られ熱心に指導していただいた。この両氏が済々黌水球部草創期の大恩人であることは今更らいうまでもないが、其の後は先輩と後輩とのあたたかい血のつながりが済々黌の水球部を今日まで支えて来たと思う。これは今後ともづっと守りつづけて行かなければならない一つの大きな鉄則である。排他的な意味でなしに、済々黌の水球は済々黌のOB諸氏の手によって指導さるべきものであると私は考えている。どんなに困ってももどんなに苦しくても外部からの指導者やコーチに強化を依頼すべきではない。済泳会の存在はそのためのものと私は理解している。私の過去の経験からみても、他の部はいざ知らず、水球に限り済泳会員による指導が最高の好結果をもたらしている。部の純血を守ることがより大きい水球部の発展と栄光をもたらすものと私は確信している。
この私在任中の19年間にはいろいろのことがあった。校長の好悪により廃部寸前にまで追いこまれたこともあったし、戦に敗れて意気消沈、部解散を唱えた選手もいた。プールの水かえの問題で学校の会計と卓をたたいて論争したこともあったし、日本水連の水球担当者と火の出るようなやりとりをした事もあった。すべては過ぎ去ったなつかしい過去の思い出であるが、歴史は繰り返すともいう。今後もこのような事が再び起きないという保障はない。済々黌水球関係者一同お互い手をとりあって、よりよい明日のために戒心してゆく必要があると思う。
嘗ての小プールに代って今年水球専用の大プールがすばらしい偉容をみせて以前の場所に完成した。新しい水球の歴史の誕生を心から期待する私である。
この19年間にはいろいろな方に大変お世話になった。今はなき古荘次平氏並らびに県水協の飯田寿平氏には格別にお世話をいただいた。その他済泳会の木村晋氏をはじめ清田・矢賀・藤本の諸氏さらに太田黒さんや矢島・家入の東京在住の方々など陰に陽に私を支え私を励まして下さった。有難いことであった。
私は昭和45年済々黌を退職、尚絅高校の方に移ったが、その頃は県の水泳協会の理事長をやり又、県体協の理事などもやっていたので、引きつづき済々黌の水球のお世話などもさせていただき、さらに深まる済々黌と私との縁であった。

昭和42年インターハイ優勝チーム

昭和43年国体優勝、プールへ投げ込まれる平田先生
by swpc
| 2013-03-26 12:16

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
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