熊日社会賞の受賞!(昭和38年)
済々黌水球部は昭和38年に「熊日社会賞」を受賞した。これは部の歴史上、特筆すべき栄誉であり、後世まで語り継がれるべき出来事でもあった。平田忠彦先生の「九州高等学校 水球三十年史」の中から引用させていただき、この受賞を振り返ってみました。
この年は済々黌にとっては誠に記念すべき年であった。それは熊本の地元紙である熊本日日新聞社の社会文化賞を受賞したことであった。これは熊本のスポーツ賞としては最高のものであっただけに皆のよろこびも一入であった。当時熊本の第二高校の校長であった広永政太郎氏の文で、熊日紙の夕刊を飾った文を掲載して当時の思い出としたい。
済々黌水球部の受賞
済々黌水球部が、「日本水球の向上と選手育成に対する貢献」 という功績で、このたび熊日社会賞を受けたことは、まことに特筆すべき大快事であった。
この社会賞受賞は、学校関係の団体として、実はこれが初めてであるが、高校スポーツ界の栄誉というよりも、その真価が社会的にも堂々と評価されたわけで、その教育的意義もまことに大きいといわねばならない。
すばらしく、見上げるほどのりっばさだと思うのは、これが実に戦後になって初めて練りあげられた、新しいしかも根強い伝統だからである。あの悪条件にみちた終戦の翌年夏の発足以来ここに十七年、地方的な幾多のハンディをもちながら、全国征覇五回、未弘杯大会優勝連続十四回の快記録はまさに驚異であり、郷土の誇りともなった。さらには幾多のオリンピック選手を世に送り、またアジア大会など多くの国際試合にも出るほどの日本の代表選手を年ごとに産み出す母体となったことを合わせ考えるとき、この水球部の貢献は学校スポーツとして内容的にみて、断然他を遠く引き離しているのである。受賞に当たり、ここまで育て上げられた学校当局の理解と協力もさることながら、平田部長、矢賀先輩コーチに心から敬意を表したい。また、部の結成当初より絶えず指導と激励を続けられた県水協の古荘、飯田両氏他多数の方々の陰の力も忘れてはならないと思う。
ある種目で全国征覇を遂げた例は県下でも珍しくはないし、高体連でもその年ごとに表彰するのであるが、これほど長く息の続いた種目は他に見当たらない。特筆大書すべきことながら、特別褒賞の規定もないまま今日に及んだしだいであった。まさに熊本県高校スポーツ界のオベリスクであろう。八十年の伝統をもつ高校が、この新しい種目にも、ゆるがぬ伝統として固め上げた事実は興味と示唆に富むことである。
練習試合の相手もなく「水球の済々」と全国的に名をあげ得た事実の底には、部員の心の結束、地味なたゆまぬ努力と忍苦の歴史がひそんでおり、先輩、後輩の血の通った連帯感の強じんさが大きな基底となっていることに、深く思いを沈めるべきであると思う。(広永政太郎)
▼受賞年度のチームメンバー
(柴田)
この年は済々黌にとっては誠に記念すべき年であった。それは熊本の地元紙である熊本日日新聞社の社会文化賞を受賞したことであった。これは熊本のスポーツ賞としては最高のものであっただけに皆のよろこびも一入であった。当時熊本の第二高校の校長であった広永政太郎氏の文で、熊日紙の夕刊を飾った文を掲載して当時の思い出としたい。
済々黌水球部の受賞
済々黌水球部が、「日本水球の向上と選手育成に対する貢献」 という功績で、このたび熊日社会賞を受けたことは、まことに特筆すべき大快事であった。
この社会賞受賞は、学校関係の団体として、実はこれが初めてであるが、高校スポーツ界の栄誉というよりも、その真価が社会的にも堂々と評価されたわけで、その教育的意義もまことに大きいといわねばならない。
すばらしく、見上げるほどのりっばさだと思うのは、これが実に戦後になって初めて練りあげられた、新しいしかも根強い伝統だからである。あの悪条件にみちた終戦の翌年夏の発足以来ここに十七年、地方的な幾多のハンディをもちながら、全国征覇五回、未弘杯大会優勝連続十四回の快記録はまさに驚異であり、郷土の誇りともなった。さらには幾多のオリンピック選手を世に送り、またアジア大会など多くの国際試合にも出るほどの日本の代表選手を年ごとに産み出す母体となったことを合わせ考えるとき、この水球部の貢献は学校スポーツとして内容的にみて、断然他を遠く引き離しているのである。受賞に当たり、ここまで育て上げられた学校当局の理解と協力もさることながら、平田部長、矢賀先輩コーチに心から敬意を表したい。また、部の結成当初より絶えず指導と激励を続けられた県水協の古荘、飯田両氏他多数の方々の陰の力も忘れてはならないと思う。
ある種目で全国征覇を遂げた例は県下でも珍しくはないし、高体連でもその年ごとに表彰するのであるが、これほど長く息の続いた種目は他に見当たらない。特筆大書すべきことながら、特別褒賞の規定もないまま今日に及んだしだいであった。まさに熊本県高校スポーツ界のオベリスクであろう。八十年の伝統をもつ高校が、この新しい種目にも、ゆるがぬ伝統として固め上げた事実は興味と示唆に富むことである。
練習試合の相手もなく「水球の済々」と全国的に名をあげ得た事実の底には、部員の心の結束、地味なたゆまぬ努力と忍苦の歴史がひそんでおり、先輩、後輩の血の通った連帯感の強じんさが大きな基底となっていることに、深く思いを沈めるべきであると思う。(広永政太郎)
▼受賞年度のチームメンバー
by swpc
| 2013-12-25 16:15
ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
平成23年8月
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