新熊本の体力(3)
四半世紀以上にわたって〝強豪″の名を全国にとどろかせた済々黌高水球部。輝かしい歴史の中で、インターハイと国体で最後の優勝を飾った時の選手に、当時の思い出などを聞いた。
最後のインターハイ優勝は1967(昭和42)年の福井大会。田代孝士(66)はFWで出湯した。予選1回戦は田代もゴールを奪い新潟・柏崎を2-0で下し、同2回戦は東京・北野を10-0で一蹴した。決勝は岡山・関西、埼玉・川口市立、大分・臼杵とのリーグ戦に。
「どのチームも背が高く、がっしりした選手ばかり。体格、泳力ともうちが一番劣勢だった」と田代。初戦の関西戦は最終クォーターまで2-1とリードしたが、終了間際に痛恨のファウルを犯し、2-2の引き分け。第2戦ば前年の国体で苦杯をなめさせられた川口市立。ポイントゲッターの木村隆、西田英生が大活躍し4-3で勝ち、1勝1引き分けとした。
最終戦は九州のライバル。臼杵。「末弘杯、九州大会で勝っていたので心の緩みがあった」と田代が振り返る通り、常に先行を許す展開。最終クォーターで追いつき、3-3で引き分けた。1勝2引き分けながら勝ち点4で栄冠に輝いた。「矢賀(正雄)コーチから『ボールは燃える火の球だ』と教えられ、ボールを長く持つことはなかった。パスと同時にダッシュの繰り返し。体格のハンディを補う作戦だったんですね」と田代。
翌年、インターハイ連覇を目指した済々黌は九州予選敗退。同じく福井開催だった国体制覇にかけていた。2年生の浜田澄夫(63)はFWを務めた。「インターハイ予選に敗れ日大(東京)で強化合宿が行われた。10日間ほどだったが、起きている間はほとんどプールの中。血尿が出る者もいた。しこたま鍛えられた」(浜田)
迎えた本番は東京・城西を5-3、大阪・茨木を6-2で下し、予選を通過した。決勝リーグは済々黌、長崎・諌早商、臼杵、柏崎の顔ぶれ。文字通り九州決戦の様相を呈した。「長崎国体を控え、選手強化を進めていた諫早が一番手強かった。でも緊急合宿の成果もあって優勝できた」と浜田。柏崎とは引き分けたものの、臼杵を4-2、諌早商を3-2で退け頂点に立った。浜田は好アシストで何度もゴールに貢献した。
田代は法政大を経て熊本県警入り、浜田は日大を出た後、和歌山県の高校教員になり同県の水球普及・強化に情熱を燃やした。「水球で熊本の名を見なくなって久しい。母校にはこだわらない。熊本のこれからに期待したい」。2人は口をそろえた。(完)

昭和42年福井インターハイ優勝チーム

昭和43年福井国体優勝チーム
最後のインターハイ優勝は1967(昭和42)年の福井大会。田代孝士(66)はFWで出湯した。予選1回戦は田代もゴールを奪い新潟・柏崎を2-0で下し、同2回戦は東京・北野を10-0で一蹴した。決勝は岡山・関西、埼玉・川口市立、大分・臼杵とのリーグ戦に。
「どのチームも背が高く、がっしりした選手ばかり。体格、泳力ともうちが一番劣勢だった」と田代。初戦の関西戦は最終クォーターまで2-1とリードしたが、終了間際に痛恨のファウルを犯し、2-2の引き分け。第2戦ば前年の国体で苦杯をなめさせられた川口市立。ポイントゲッターの木村隆、西田英生が大活躍し4-3で勝ち、1勝1引き分けとした。
最終戦は九州のライバル。臼杵。「末弘杯、九州大会で勝っていたので心の緩みがあった」と田代が振り返る通り、常に先行を許す展開。最終クォーターで追いつき、3-3で引き分けた。1勝2引き分けながら勝ち点4で栄冠に輝いた。「矢賀(正雄)コーチから『ボールは燃える火の球だ』と教えられ、ボールを長く持つことはなかった。パスと同時にダッシュの繰り返し。体格のハンディを補う作戦だったんですね」と田代。
翌年、インターハイ連覇を目指した済々黌は九州予選敗退。同じく福井開催だった国体制覇にかけていた。2年生の浜田澄夫(63)はFWを務めた。「インターハイ予選に敗れ日大(東京)で強化合宿が行われた。10日間ほどだったが、起きている間はほとんどプールの中。血尿が出る者もいた。しこたま鍛えられた」(浜田)
迎えた本番は東京・城西を5-3、大阪・茨木を6-2で下し、予選を通過した。決勝リーグは済々黌、長崎・諌早商、臼杵、柏崎の顔ぶれ。文字通り九州決戦の様相を呈した。「長崎国体を控え、選手強化を進めていた諫早が一番手強かった。でも緊急合宿の成果もあって優勝できた」と浜田。柏崎とは引き分けたものの、臼杵を4-2、諌早商を3-2で退け頂点に立った。浜田は好アシストで何度もゴールに貢献した。
田代は法政大を経て熊本県警入り、浜田は日大を出た後、和歌山県の高校教員になり同県の水球普及・強化に情熱を燃やした。「水球で熊本の名を見なくなって久しい。母校にはこだわらない。熊本のこれからに期待したい」。2人は口をそろえた。(完)

昭和42年福井インターハイ優勝チーム

昭和43年福井国体優勝チーム
by swpc
| 2014-12-10 18:06

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
以前の記事
2022年 06月
2019年 07月
2019年 05月
2018年 06月
2017年 10月
2017年 01月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 04月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2019年 07月
2019年 05月
2018年 06月
2017年 10月
2017年 01月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 04月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月