会津若松国体(昭和36年)の想い出(1)
この映像は昭和36年9月、福島県会津若松市で行われた第16回国体夏季大会の様子です。予選リーグは会津若松市立第一中学校プールで行われました。映像は熊本県選手団の宿舎があった鶴ヶ城内の旅館からバスで試合会場に向かうところから始まっています。市民から大歓迎を受けている様子が見てとれます。義宮様(現常陸宮様)が水球競技の視察に来られた様子も映っています。試合は1回戦か2回戦か不明ですが、済々黌の帽子のナンバーに大きい数字が見られるので、私は上がりでカメラを回した記憶があります。全体的に余裕のあるゲーム運びで小陳、坂本、平田等の表情も見ることができます。当時の済々黌水球のゲーム運びは泳ぎ中心でしたが、この試合ではその特長は表れていないようです。ノーマークの小陳がキーパー不在のゴールに投げ込むところは練習時と同じ表情です。多分プールサイドには、京都府の監督川井先生が決勝に向けての偵察に来られていたので矢賀監督も「手の内を見せるような采配はやらないので思うようにやれ」と試合前のミーティングで言われたことを思い出します。この大会は途中で台風に見舞われ、競技日程が1日順延になったり、停電で真っ暗になった旅館の大広間に蝋燭を立て、熊本県選手団が全員黙々と食事をした思い出があります。この後の決勝戦だけは、メーン会場の鶴ヶ城内会津若松市営プールで行われました。その様子はまた後日掲載します。
(村山憲三)
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by swpc
| 2011-11-01 18:53
国際選手群像
濟々黌水球部はこれまで数多くの国際選手を輩出した。昭和42年(1967)に熊本日日新聞社から発行された「熊本の体力」には、これについて下記のように記述されている。
なお、昭和42年以降の国際選手については、またいずれご紹介したい。
▼国際選手群像
全国制覇五回のほか、インタハイ、国体の成績をみると済済黌水球部は、準優勝十二回、第三位四回とその実績は日本水球界のトップクラスであり、西日本高校水上大会(末弘杯)では十八連勝をなし遂げて無敗のレコードを伸ばし続けている。戦後の二十一年に誕生した済済黌水球部だが、名門としての伝統はすでにじゅうぶん。そして数々の名選手を生み出してきた。国際試合に出場したOB選手は、アマチュアスポーツマン最高の栄誉であるオリンピックも含めて十四人、延べ三十人の多きを数えている。
年を追って国際選手群像を見てみると、まず二十九年の第二回アジア大会(マニラ)に田代二生と古賀伸一郎、三十年の香港遠征チームには水垣憲二、田久保徹、井上融、宮村元信、内田啓一が加わった。三十二年にパリで開かれた国際学生大会には田久保、宮村と飯田桂三。三十三年の第三回アジア大会(東京)に宮村、三十五年の第十七回オリンピック・ローマ大会には宮村と藤本重信、柴田徹の三人。三十六年のブルガリア国際学生大会にも藤本と柴田が出場、三十七年の第四回アジア大会(ジャカルタ)は田久保、藤本。この二人は三十八年のヨーロッパ遠征にも加わり、ブラジル国際学生大会に桑山博克と米原邦夫、三十九年には東京オリンピックに藤本が出場し、さらに田久保、藤本、村山憲三はヨーロッパに遠征した。四十年のブダペスト国際学生大会には田代が監督となり、村山、桑山、米原の三選手が参加した。また四十一年のアジア大会では菅原平が日本チームのコーチをつとめ桑山博克、坂本征也がその優勝メンバーに加わった。
済済黌水球部のOBは、いまや日本水球界で大きな地位を占め、各大会で活躍を続けている。それらの功績に対して、三十八年には第十三回熊日社会賞が済済黌水球部に贈られている。

ローマ五輪(1960)に出場の藤本重信、宮村元信、柴田徹の3選手を激励する平田先生ご夫妻と矢賀さん

東京五輪(1964)に出場の藤本重信選手を激励する平田先生
なお、昭和42年以降の国際選手については、またいずれご紹介したい。
▼国際選手群像
全国制覇五回のほか、インタハイ、国体の成績をみると済済黌水球部は、準優勝十二回、第三位四回とその実績は日本水球界のトップクラスであり、西日本高校水上大会(末弘杯)では十八連勝をなし遂げて無敗のレコードを伸ばし続けている。戦後の二十一年に誕生した済済黌水球部だが、名門としての伝統はすでにじゅうぶん。そして数々の名選手を生み出してきた。国際試合に出場したOB選手は、アマチュアスポーツマン最高の栄誉であるオリンピックも含めて十四人、延べ三十人の多きを数えている。
年を追って国際選手群像を見てみると、まず二十九年の第二回アジア大会(マニラ)に田代二生と古賀伸一郎、三十年の香港遠征チームには水垣憲二、田久保徹、井上融、宮村元信、内田啓一が加わった。三十二年にパリで開かれた国際学生大会には田久保、宮村と飯田桂三。三十三年の第三回アジア大会(東京)に宮村、三十五年の第十七回オリンピック・ローマ大会には宮村と藤本重信、柴田徹の三人。三十六年のブルガリア国際学生大会にも藤本と柴田が出場、三十七年の第四回アジア大会(ジャカルタ)は田久保、藤本。この二人は三十八年のヨーロッパ遠征にも加わり、ブラジル国際学生大会に桑山博克と米原邦夫、三十九年には東京オリンピックに藤本が出場し、さらに田久保、藤本、村山憲三はヨーロッパに遠征した。四十年のブダペスト国際学生大会には田代が監督となり、村山、桑山、米原の三選手が参加した。また四十一年のアジア大会では菅原平が日本チームのコーチをつとめ桑山博克、坂本征也がその優勝メンバーに加わった。
済済黌水球部のOBは、いまや日本水球界で大きな地位を占め、各大会で活躍を続けている。それらの功績に対して、三十八年には第十三回熊日社会賞が済済黌水球部に贈られている。

ローマ五輪(1960)に出場の藤本重信、宮村元信、柴田徹の3選手を激励する平田先生ご夫妻と矢賀さん

東京五輪(1964)に出場の藤本重信選手を激励する平田先生
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by swpc
| 2011-10-28 19:48
国体に向けて猛練習 ~昭和36年夏~
この練習シーンは、私の兄がインターハイの優勝後(S36年夏)に撮影してくれたものと記憶しています。それから丁度半世紀が経過した訳です。当時の練習を昨日のように思い出します。当時は鬼に見えた矢賀さんの姿も今では懐かしいですね。
当時は、約40日間の夏休み期間中に練習休みは半日(午前のみ)が2日間程度で完全な休みは、遠征に行く時の車中だけでした。そんな猛練習のお陰でチームメイトと共に多くの栄光を手にする事が出来て人生の大きな糧となり今日があるような気がします。
ファインダーとレンズの組み合わせがずれて中心が外れているのが残念です。
当時は、約40日間の夏休み期間中に練習休みは半日(午前のみ)が2日間程度で完全な休みは、遠征に行く時の車中だけでした。そんな猛練習のお陰でチームメイトと共に多くの栄光を手にする事が出来て人生の大きな糧となり今日があるような気がします。
ファインダーとレンズの組み合わせがずれて中心が外れているのが残念です。
(村山憲三)
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by swpc
| 2011-10-27 15:26
元日恒例 水前寺プールで初泳ぎ!
かつて濟々黌水球部の正月元旦の恒例行事は、水前寺プールでの初泳ぎだった。村山憲三さんから送っていただいたこの映像は、登場する顔ぶれから見て昭和35年(1960)の正月の風景と思われる。確認できるだけでも米原さん、宮本さん、坂本さん、宮川さん、大村さん、奥村さん、村山さん、桑山さん、入江さんらの顔が見える。現在、水前寺成趣園の能楽堂がある辺りにはかつて25mの湧水プールがあった。湧水だから冬期は比較的温かく感じられるということだったのだろうが、それでも水温は18度くらいではなかったろうか。逆に夏にはこのプールは冷たくて長く入っていられなかった憶えがある。この水前寺プールでの初泳ぎも私が卒業する頃にはなくなり、済々黌のプールなどを使うようになった。どういう事情だったのか記憶にない。すぐ近くには熊本市立体育館も建てられていたが、1999年の台風で破損し、その後取り壊された。今は電停にその名を残すのみである。(柴田範房)
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by swpc
| 2011-10-22 17:22
栄光の日 ~1961年8月21日 熊本駅~
村山憲三さん(昭36卒)から大量かつ貴重な資料を送っていただいた。済々黌関係の記念誌、日本水泳連盟の機関誌、8ミリフィルムをDVD化したもの等々。過去を振り返ろうにも資料が乏しかっただけに本当にありがたい。
どこから手を付けようかと迷ったが、とにかくわかりやすい動画から始めてみた。まずは、ブログのヘッダーにも使っている1961年8月のインタハイ2連覇を達成し、熊本駅に凱旋した時の様子をフィルムに収めたもの。わずか1分程度の短い映像だが、当時の光景がまざまざとよみがえる。たしか決勝戦の翌日、8月21日だったと記憶しているが、とにかく暑い日だった。夏休みの真っ最中で学校関係者やPTAなど出迎えも少なかったのはちょっと残念だったが、済々黌水球部の最も輝ける日であったことは間違いない。既に鬼籍に入られた部長の平田先生とコーチの矢賀さん、トロフィーを抱えた主将の村山さん、小陳さん、入江さん、桑山さん、坂本さん、堀さん、松田さん、豊永さん、下村君、深迫君、福永君、藤本君、平田君、当時1年生で駅まで出迎えに行った、不肖私もチラッと映っている。皆さんの若々しい顔を見ると思わず涙が出そうになる。(柴田範房)
どこから手を付けようかと迷ったが、とにかくわかりやすい動画から始めてみた。まずは、ブログのヘッダーにも使っている1961年8月のインタハイ2連覇を達成し、熊本駅に凱旋した時の様子をフィルムに収めたもの。わずか1分程度の短い映像だが、当時の光景がまざまざとよみがえる。たしか決勝戦の翌日、8月21日だったと記憶しているが、とにかく暑い日だった。夏休みの真っ最中で学校関係者やPTAなど出迎えも少なかったのはちょっと残念だったが、済々黌水球部の最も輝ける日であったことは間違いない。既に鬼籍に入られた部長の平田先生とコーチの矢賀さん、トロフィーを抱えた主将の村山さん、小陳さん、入江さん、桑山さん、坂本さん、堀さん、松田さん、豊永さん、下村君、深迫君、福永君、藤本君、平田君、当時1年生で駅まで出迎えに行った、不肖私もチラッと映っている。皆さんの若々しい顔を見ると思わず涙が出そうになる。(柴田範房)
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by swpc
| 2011-10-19 16:55

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム
by swpc
Note
濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com
平成23年8月
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連絡先:
ugg99537@nifty.com
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