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水前寺プールの初泳ぎ

 2011年10月22日に投稿した記事を再編集し再掲しました。

 かつて濟々黌水球部の正月元旦の恒例行事は、水前寺プールでの初泳ぎでした。
 村山憲三さん(37年卒)から送っていただいたこの映像に登場する顔ぶれから見ますと昭和35年(1960)の正月の風景と思われます。この年はインターハイ優勝、熊本国体は準優勝でした。
 米原さん(35年卒)、宮本さん(35年卒)、坂本さん(35年卒)、宮川さん(35年卒)、大村さん(36年卒)、奥村さん(36年卒)、村山さん(37年卒)、桑山さん(37年卒)、入江さん(37年卒)らの顔が見えます。現在、このプールがあったところには出水神社能楽殿が建てられています。
 この25mの湧水プールは年間通して18度くらいの水が湧いていました。ですから冬期は比較的温かく感じますが、外気が冷たく上がると震え上がっていました。逆に夏にはこのプールは冷たくて長く入っていられなかった憶えがあります。この水前寺プールでの初泳ぎも私が卒業する頃にはなくなり、済々黌のプールなどを使うようになりました。すぐそばにあった熊本市立体育館も、1999年の台風で破損し、その後取り壊されました。今は電停にその名を残すのみです。(柴田範房)



水前寺プールの跡には現在、出水神社能楽殿が建てられています
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# by swpc | 2017-01-03 16:11

リオ五輪水球 日本初戦でギリシャに逆転負け!

リオ五輪水球 日本初戦でギリシャに逆転負け!_d0251172_12395738.jpg


リオ五輪日本水球チームは予選リーグ初戦でギリシャに逆転負けを喫した。第3クォーター終了時点で日本が3点リードしていたので、NHKの中継では、アナウンサーも解説者も「歴史的な大金星か!」と興奮を隠さなかった。それを聞きながら、僕は違和感をぬぐえなかった。たしかに近年ではギリシャは世界選手権などで好成績を収めているが、48年前のメキシコ五輪の頃、ギリシャは欧州勢の中では弱小チームだった。現に日本はメキシコ五輪の予選リーグでギリシャに勝っている。結局、日本は決勝ラウンドには進めなかったものの予選リーグでは、ギリシャ、ブラジル、メキシコに勝って3勝4敗の成績を収めている。仮に日本が今回のリオ五輪でギリシャに勝っていたとしても、はたして「歴史的な大金星」と言えるのだろうか。その点が腑に落ちないのである。たしかに現時点では彼我の間には大きな差があるのかもしれない。だとすれば、この48年の間にそうなってしまったのはなぜなのか。それを究明しなければならないと思う。ギリシャに善戦したからと喜んでいたのでは日本水球の明日は暗い。
 ちなみにメキシコ五輪日本チームには、わが済々黌OBの桑山博克(S37年卒)、坂本征也(S38年卒)、米原邦夫(S35年卒)の3名が含まれている。
(柴田)

# by swpc | 2016-08-08 13:11

第16回国民体育大会夏季大会(1961年)

 第16回国民体育大会夏季大会は、義宮さまをお迎えして、会津若松市に9月14日から4日間にわたって繰り広げられました。はるばる海を渡って参加した沖縄を初め、全国から水の精鋭1,500名が熱戦を展開しました。
 この大会については、これまでも何度か投稿しましたが、済々黌にとってあまり良い思い出ではありません。しかし、済々黌水球部史のなかで記録にとどめておくべき出来事だと思っています。この大会の映像が「ふくしま教育情報データベース」のサイトに残されているのはとても貴重なことだと思います。
(柴田)


▼下の写真をクリックすると「ふくしま教育情報データベース」のサイトへ飛びますので、「ふくしまの動画」の中の「4.県民ニュース」をクリックし、1961年の「民友ニュース№95」をクリックしてご覧ください。

第16回国民体育大会夏季大会(1961年)_d0251172_1258388.jpg

# by swpc | 2016-07-07 13:13

あの日あの時 ~ 村山憲三さん(S37年卒)のアルバムより ~

 随分久しぶりの更新です。
 今回は村山憲三さんからご提供いただいたDVD映像の中から、なつかしい仲間の顔、顔、顔をご覧いただき、ご自分の若かりし頃を振り返っていただきたいと思います。
(柴田範房)



# by swpc | 2016-06-03 15:06

水泳部員名簿(その1)

 もう4ヶ月ほど前になるが、後輩の神谷洋君(S45年卒)が同級の藤木俊清君とともにわが家を訪ねてくれて、母黌水泳部の古い名簿があるので、このブログで紹介してほしいという依頼があった。現物は片桐英夫君(S58年卒)が保管しているとのことだったので、先日、寺原自動車学校へ高齢者講習を受けに行ったついでに片桐君から預かってきた。
 昭和14年度から平成7年度までに在籍した部員自筆の部員名簿である。主将などの肩書や進路なども書き添えてある。書き込んでもらうタイミングを失したのか、空白の年度や個人もあるが、年度順に紹介していきたい。
 今回は昭和14年度。済々黌の最初のプールが竣工したのは昭和7年9月のことなので、それから昭和14年まで、水泳部が存在したのかどうかの記録は見い出せていない。
 この年は「第二次世界大戦」や「ノモンハン事件」が勃発した年だが、その2年前には既に、当時「支那事変」と呼んだ日中戦争が始まっており、戦時色の強い年だった。翌15年には東京オリンピックが予定されており、それに向けた準備が進められていた(後に開催返上)。横綱双葉山が安芸ノ海に敗れて70連勝がならなかったのもこの年の出来事である。
 ちなみに水球部が発足するのは戦後、昭和21年のことである。


黄壁城(明治39年~昭和35年)


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# by swpc | 2015-12-02 14:19

ヘッダー写真:昭和36年、インターハイで二連覇し凱旋した熊本駅ホームで歓迎を受ける済々黌チーム


by swpc

Note

濟々黌水球部の歴史は戦後復興の始まりとともにスタートしました。以来今日まで65年、苦難と栄光の歴史をあらためて振り返り、未来への道標とすべく、このブログを開設いたしました。必ずしも時系列ではありませんが、少しずつエピソードをご紹介していきたいと思っています。また、OBその他関係者の皆様から「想い出話」の投稿をお待ちしています。また、お手持ちの写真がありましたら、ぜひご貸与ください。
平成23年8月
    柴田範房(昭和39年卒)
連絡先:
ugg99537@nifty.com

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